このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2005年

安積疎水十六橋水門〜十六橋の戦い〜

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戸ノ口の手前に日橋川に架かる安積疎水十六橋水門がある。

安積疎水十六橋水門


 『新編会津風土記』によれば、空海が流れの中に塚を築き、丸木を架けて十六断の橋としたのが始めとされ、天明6年(1786年)、材木石を用いて、勾欄の付いた23断の石橋としたそうだ。

十六橋の戦い

 慶応4年(1868年)8月21日、西軍は 母成峠 突破。翌22日には西軍2,800の兵は戸ノ口を目指して進撃。

 薩摩の4番隊が戸ノ口十六橋(じゅうろっきょう)に到達、先を争って続々と日橋川の奔流徒渉。午後3時ころには会津兵も遂にこの天険を棄てるに至った。

会津藩は急遽十六橋南岸の 戸ノ口原 一帯に防御線を布く。

明治39年(1906年)10月20日、河東碧梧桐は戸ノ口十六橋を見る。

 戸の口の十六橋を見て、こゝに家を構えた後藤宙外を訪ねる。景勝の地を占めて、すでに山中の人になっておる。あり合う袋戸の真白なのをはずして一句を書けという。

   山かけて鳥渡る湖の眺めかな


 現在の安積疎水十六橋水門は、明治45年6月改築に着手し、大正2年11月橋が完成し、大正3年電動化した水門が完成。

安積疎水の設計者であるオランダ人ファンドールンの銅像が建てられている。


「十六橋の戦い」については、何も書かれていない。

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