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私の旅日記
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2005年
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舘の山公園
〜大鳥城跡〜
東北自動車道
那須高原SA
から福島飯坂ICに向かう途中、安達太良SAに立ち寄る。
安達太良山がよく見えた。
福島飯坂ICから国道13号に入り、県道3号を過ぎて右折して国道399号へ。
舘の山公園に行く。
ふくしま緑の百選
飯坂・大鳥城跡の緑
昭和60年6月選定
主唱/福島民報社・福島県緑化推進委員会
大鳥城跡
福島飯坂ライオンズクラブの解説が書いてあった。
12世紀の初め、藤原氏が奥州を支配し平泉に都城を構え、その一族の佐藤氏が信夫荘の荘司(湯の荘司とも称さる)となり、ここに居城を構えた。親族の
西行法師
が陸奥を旅し、この地に安らぎを求めた間は小平泉の観を呈し、賑わいをみせていたといわれている。
城主元治
(もとはる)
の子継信・忠信は義経に従って出陣、継信は屋島にて義経の身代り戦死、忠信は吉野山にて義経一行を救うも捕われて京都にて自刃、城主もまた文治5年8月、義経追討の鎌倉勢を石那坂に迎撃し戦死、同月13日落城。
大鳥神社
祭神 佐藤基治侯
継信侯・忠信侯
吉川英治撰文大鳥城誌
昭和33年(1958年)11月建立
元禄2年(1689年)5月2日(新暦6月18日)、芭蕉は佐藤基治の旧跡を訪れた。
『奥の細道』には「五月朔日の事也」とあるが、これは文学的虚構。
月の輪のわたしを越て、瀬の上と云宿に出づ。佐藤庄司が旧跡は、左の山際一里半斗に有。飯塚の里鯖野と聞て尋ね尋ね行に、丸山と云に尋あたる。是、庄司が旧館也。梺に大手の跡など、人の教ゆるにまかせて泪を落し、又かたはらの古寺に一家の石碑を残す。
「丸山」が現在の舘の山公園らしい。
梺
(ふもと)
の「大手の跡など」に「泪を落し」ただけで、「かたはらの古寺」
医王寺
に向かったようだ。
元禄9年(1696年)、天野桃隣は
医王寺
から佐藤庄司の旧跡を訪れ、句を詠んでいる。
佐藤庄司旧跡、丸山城跡アリ。南殿桜夜の星是名水の井也。庄司墓所、一門石塔、次信・忠信石塔有。
○星の井の名も頼母しや杜若
○丸山の構も武き若葉哉
[無都遅登理 五]
元文3年(1738年)4月22日、田中千梅は松島行脚の途上、佐藤庄司の旧跡を訪れている。
うへの山ハ大鳥の城庄司代々の居城也本丸二之丸大門の跡とて教ゆ丸山ハ勢揃の場とそ
『松島紀行』
安永2年(1773年)、
加舎白雄
は佐藤氏の旧館を訪れた。
鯖野のさと佐藤氏の旧館たづねげにやおもふ。次信忠信故郷はるかにひとりのみかふたり迄君のいのちにかはりし事よ、こゝにいたりてふたゝび其篤を感じ侍りぬ。
いのちふたつ露やすからぬむかしかな
加舎白雄
「奥羽紀行」
岩間乙二も句を詠んでいる。
佐藤庄司か丸山の舘の跡へ人とともにのぼりて
酒こぼせすみれの外は山のもの
『乙二句集』
駐車場の紅葉
高湯温泉
へ。
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