このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2010年
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蓮家寺
〜山門〜
棚倉町棚倉新町に蓮家寺という寺がある。
蓮家寺山門
棚倉町指定重要文化財
1.名称
蓮家寺山門
慶長8年(1603年)この地を支配した代官彦坂小刑部の家臣であった蓮池主水
(もんど)
と糟家彌兵衛は浄土宗の信者でしたが、
浄土宗
の寺がないため塙の秀哲上人を招請し、精舍を建立しました。当寺は阿弥陀寺といっていましたが、まもなく開創の施主両氏の名をとり、蓮家寺としました。
安永6年(1777年)に冠木門・黒門・山門(楼門)の三門が建立され、これを総称して蓮家寺三門と呼ばれましたが、明治2年(1859年)の火災で山門(楼門)だけが残りました。建立当時は赤く紅殻
(べんがら)
塗られて「城下の景観なり」とうたわれました。
このような規模の二層の山門は数少なく社寺建造物として、その価値は高く貴重な遺産です。
棚倉町教育委員会
蓮家寺の紅葉
蓮家寺の鐘楼
銅鐘について
蓮家寺の銅鐘は、正保4年(1647年)、蓮家寺四世住職の尊譽上人の時に藩主の内藤豊前守信照公が寄進した銅鐘です。
毎日、巳の刻(午前11時)に響く鐘の音は、常念仏の勤行が終ったことを知らせるためでしたが、城下の人々に昼食の時間を告げる鐘でもありました。
昭和18年に国の重要美術品に認定され、鐘楼も建立当寺のままで、貴重な江戸時代初期の建造物です。
棚倉町教育委員会
蓮家寺本堂
蓮家寺に芭蕉の句碑があった。
雲雀よりうへにやすらふ峠かな
出典は
『阿羅野』
(荷兮編)。
貞亨5年(1688年)、
『笈の小文』
の旅で詠まれた句。
『笈の小文』には「
空にやすらふ
」とあり、「
臍峠
(ほそたうげ)
多武峰ヨリ龍門へ越道也。
」と前書きがある。
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