このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2015年

矢祭山公園〜西行の歌碑〜

矢祭町大字内川地内の国道118号線沿いに矢祭山公園がある。


 永承6年(1051年)、源頼義・ 義家 が前9年の役の帰途、この地の美しさに魅了され、背負っていた弓矢を岩窟に納めて祭ったことが「矢祭町」の名の由来になったそうだ。

ふくしま緑の百選

奥久慈・矢祭山

昭和60年6月選定
主唱/福島民報社・福島県緑化推進委員会

月見橋


矢祭山公園に西行の歌碑があった。


心ある人に見せばや陸奥の矢祭山の秋の景色を

出典は不詳。

西行法師 の歌碑

平安末期の歌人(新古今集)の歌人。

法師は、鳥羽上皇の北面の武士であったが、23才で出家して諸国を行脚したと。自然歌人と言われる中にも、人間臭さの強い歌風で後世に影響を与えている。この歌も法師が、みちのく行脚の折り当地に立ち寄り、矢祭山の景観に心を打たれて詠まれた歌です。

久慈川を渡る。


徳川光圀 の歌碑があった。


見ぬ人になにを語らむみちのくの矢祭山の秋の夕暮れ

延宝元年丑歳
1673年9月2日

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