このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2014年
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岩村駅
〜伝鴨長明塚〜
明知鉄道明知線岩村駅下車。
明知鉄道明知線岩村駅
昭和9年(1934年)1月26日、国鉄明知線大井−岩村間開通。岩村駅新設。
昭和60年(1985年)11月16日、国鉄明知線廃止。明知鉄道明知線恵那−明智間開業。
今年は明知線開通80周年・岩村駅開業80周年。
駅前に「言志録」の碑があった。
已むを得ざるに薄
(せま)
りて而る後に諸を外に発する者は花なり
碑文への思い
国難、内憂外患、一大事、逆境を打ち破るには、大自然に学ぶ人間力が必須である。日本人の大好きな桜花は厳冬を耐え、ある日ある時、忽然と咲き誇る。堪え忍び蓄えた力を一気に外に出す。そこに理屈はない、やむにやまれぬ天地の絶妙な魂である。
佐藤一斎「言志録」普及特命大使窪田哲夫
佐藤一斎は岩村藩出身の儒学者。知らなかった。
下田歌子は岩村藩士の娘だった。
城下町に向かうと、「鴨長明塚」があった。
伝鴨長明塚
『方丈記』の作者鴨長明(1155〜1216)は、下鴨神社(京都市)の禰宜の次男に生まれ、和歌や管弦の道を極めました。50歳のとき、宮司に推挙されましたが実現せず、失意のうちに出家し、方丈(1丈約3メートル四方)の庵をむすんで隠遁生活に入りました。
口伝によれば、衆人の前で秘曲を披露して鎌倉を追われた長明は、遠山景廉
(かげかど)
の好意で岩村の両家(現在の領家)に逃れ、半年を過ごした後、病を得て入寂したといい、「思いきや都を余所にはなれ来て遠山野辺に雪消えんとは」という辞世の歌が伝わっています。
この地には、後に岩村藩の家老丹羽瀬清左衛門が石碑を建てています。また、長明作という木像があり、昔から夜泣きの子どもに添い寝させると丈夫になるとされ、お礼に小さなちゃんちゃんこを奉納する習慣が明治時代まで続けられていました。
恵那市教育委員会
岩村城は女城主の城として知られる。
今日は行けない。
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