このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2011年

菁莪記念館〜碑巡り〜
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垂井町岩手に菁莪記念館がある。


菁莪記念館


岩手の旗本竹中氏は天保年間に道場菁莪堂(せいがどう)を作った。

旗本竹中家関係及び当時の学校の資料などが保存されているそうだ。

菁莪記念館に 大野是什坊 の句碑があった。


初雪やそれさへたらぬ貯ひ酒

説明が書いてあった。

大野是什坊の句碑

   山居の侘しきにこの色気を興せむとすれと

初雪やそれさへたらぬ貯(たば)ひ酒

朝暮老人

本名は親芳、通称瀬兵衛、号を傘狂・朝暮園・老森庵・風論子・花中人といった。

旗本竹中家に仕え、宝暦2年(1752年)江戸詰となり、俳諧の道に入る。安政9年(1780年)美濃派六世の道統を継ぐ。寛政5年(1793年)67歳で没した。

垂井町教育委員会

国井化月坊の句碑もあった。


月のあと残した藪の梅白し

説明が書いてあった。

国井化月坊句碑

   美濃派十五世

月のあと残した藪の梅白し

春香園

化月坊は岩手竹中家の家臣。本名は義睦、通称喜忠太、号を梅仙・春香園・山戸亭といった。

天保13年(1843年)菁莪堂の創設に際しては文武の師役となり、和漢・武道を教えた。安政4年(1857年)には美濃十五世の道統を継承し、明治3年(1870年)77歳で没した。

垂井町教育委員会

「芭蕉」の句碑もあった。


風吹くや児玉の音ノ菩提かな

児玉家伝書によれば元禄6年芭蕉翁当家を訪れこの句と自塑像を残したという。

平成9年(1997年)3月、建立。

元禄6年(1693年)、芭蕉は江戸にいた。

この句は芭蕉の句として伝わらない。

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