このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
墨俣一夜城
〜碑巡り〜
大垣市墨俣町墨俣の長良川沿いに「墨俣一夜城」がある。
大垣市墨俣歴史資料館である。
歴史を秘めた一夜城
天下統一をめざす信長は美濃を攻略するため、再三築城を試みますが、いずれも失敗に終わりました。
業を煮やした信長は、この大任を
木下藤吉郎
に命じました。
永禄9年(1566年)藤吉郎は、蜂須賀小六・前野将右衛門らの協力を得て直ちに築城の準備にとりかかりました、同年9月12日午前2時、のろしを合図に敵地墨俣へ向かいました。攻めくる斎藤軍と戦いながら、昼は馬柵づくり、夜は築城と昼夜にわたり奔走し、14日には見事築城を完了し、翌15日には信長公が入城しました。
この功績により、藤吉郎は足軽組頭から墨俣城を預かる部将に取立てられ、太閤出世物語の出発となったところで「一夜城」と呼び親しまれています。この一夜城は小さな砦にすぎませんが、歴史的には大きな役割を果たしました。
すのまたまちづくり倶楽部
木下藤吉郎秀吉の像
西行
の歌碑があった。
春くればうぐいすのまた梅に来てみのなりはじめ花のおわり
昭和49年(1974年)4月、墨俣町職員一同建立。
次に阿佛尼の歌碑。
かりの世のゆきゝとみるもはかなしや身をうき舟の浮き橋にして
弘安2年(1279年)10月19日、阿仏尼は墨俣の浮橋を渡る。
阿佛尼が有名な旅日記
「十六夜日記」
の中で詠んだ歌である
墨俣の渡舟場でまさきの綱にてかけとゞめた非常に危ない舟を浮べた浮橋をわたる心境をはかない浮世の旅路にかけて歌った
近藤一鴻の句碑があった。
わが郷に城趾のこり太閤忌
「
一夜城詠
」とある。
昭和22年(1947年)、近藤一鴻は貝寄風
(かいよせ)
創刊・主宰。
昭和57年(1982年)11月3日、建立。
平成8年(1996年)、没。
平成18年(2006年)3月27日、墨俣町は養老郡上石津町と共に大垣市に編入。
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