このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2011年

中山道鵜沼宿脇本陣〜芭蕉の句碑〜
indexにもどる

各務原市鵜沼西町に「中山道鵜沼宿脇本陣」がある。


「中山道鵜沼宿脇本陣」


明治24年(1891年)、濃尾震災で倒壊。

平成22年(2010年)5月、復元公開。

「中山道鵜沼宿脇本陣」の前に芭蕉の句碑が並んでいる。


昭和40年(1965年)5月、芭蕉翁顕彰会建立。

中山道鵜沼宿と芭蕉

 貞享2年(1685年)、「野ざらし紀行」途中の松尾芭蕉は、鵜沼を訪れ脇本陣坂本家に滞在したと伝えられています。

 その後、貞亨5年(1688年)7月頃、芭蕉は再び脇本陣坂本家を訪れ、



汲溜の水泡たつや蝉の声

の句を詠み、さらに同年8月頃、再度訪れた脇本陣坂井家で菊花酒のもてなしを受けた折には、主人の求めに応じて、楠の化石に即興の句を彫ったと伝えられています。



ふく志るも喰へは喰せよきく乃酒

貞亨3年(1686年)、大淀三千風は鵜沼に泊まる。

○伊津貫川の鮎くむなど見て。岐布に里稲葉山を左になし。はや本道に出。鵜沼の里に泊る。


 その後、木曽路を通って信濃へ 更科紀行 に旅立つ芭蕉は、美濃を離れる際に、



更科紀行首途之地

おくられつ送りつ果ハ木曽の秋

と詠み、美濃の俳人たちと別れを惜しんだといわれます。

もうひとつ芭蕉の句碑がある。



はらなかやものにもつかす啼くひはり

出典は 『あつめ句』

貞亨4年(1687年)、芭蕉44歳の時の句。

昭和39年(1964年)5月、芭蕉翁顕彰会建立。

表門の中にも芭蕉の句碑があった。

貞亨5年(1688年)8月頃、松尾芭蕉が脇本陣坂井家を訪れ、主人の求めに応じて、楠の化石に即興の句を彫ったと伝えられています。



ふく志るも喰へは喰せよきく乃酒

 以前は長良川の対岸にある愛知県犬山市犬山字薬師の薬師寺にあった。

 犬山の古物商が坂井家から買い受けて自宅に蔵していたものを薬師寺に奉献したという。

 名古屋市緑区鳴海町の千句公園にある 「千鳥塚」 は芭蕉の自筆とされる。

 名古屋市南区笠寺町の笠覆寺にある 「千鳥塚」 は最古の芭蕉句碑といわれる。

「私の旅日記」2011年 〜に戻る



このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください