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私の旅日記2011年

養老寺〜碑巡り〜
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養老郡養老町養老公園に養老寺という寺がある。


浄土真宗 大谷派の寺である。

孝子源丞内が開いた寺とされる。

不動堂


明和9年(1772年)、上矢敲氷は養老寺のことを書いている。

又此宮より三丁下ニ滝寿山養老寺と云。滝守護ノ不動尊あり、前ニ大キなる松アリ、徳永松と云。


天明元年(1781年)、 蝶夢 は養老寺を訪れている。

養老寺は山陰に、かたのごとくの草堂あり。住む人とては、あさましげに老たる法師と、おなじころなるおうなと居たるが、ほうしは山根の樒つみて籠に入てもちたり。嫗は田に水に桶ひきさげて衣すゝぎ風情也。「所がらに老人の多さよ」とおぼゆ。

『養老瀧の記』

不動堂の前に「はせを翁」の碑があった。


享和3年(1803年)10月12日、高田社中建立。

耕月庵の句碑


孝の徳世々になかれて瀧すゝし

 この碑は養老町大跡の人、戸倉耕月庵の残した句を女婿の六郎(竹圃)が明治10年(1877年)に建碑したものです。

 耕月庵は通称六之丞といい、40歳の時家督を六郎に譲り、もっぱら六墨の道に親しみました。嘉永7年(1854年)、獅子門再和派十四世の道統を継ぎ蕉風を広げました。

 「むすふより」の 芭蕉句碑 の建立者ともいわれ、明治4年(1871年)、61歳で没しました。

不動堂の裏に高野素十の句碑があった。


多芸輪中大垣輪中夏に入る

 高野素十は 山口誓子 、阿波野青畝、 水原秋桜子 と共に『ホトトギス』の四Sと称された。

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