このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2011年
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養老寺
〜碑巡り〜
養老郡養老町養老公園に養老寺という寺がある。
浄土真宗
大谷派の寺である。
孝子源丞内が開いた寺とされる。
不動堂
明和9年(1772年)、上矢敲氷は養老寺のことを書いている。
又此宮より三丁下ニ滝寿山養老寺と云。滝守護ノ不動尊あり、前ニ大キなる松アリ、徳永松と云。
『祖餞』
天明元年(1781年)、
蝶夢
は養老寺を訪れている。
養老寺は山陰に、かたのごとくの草堂あり。住む人とては、あさましげに老たる法師と、おなじころなるおうなと居たるが、ほうしは山根の樒つみて籠に入てもちたり。嫗は田に水に桶ひきさげて衣すゝぎ風情也。「所がらに老人の多さよ」とおぼゆ。
『養老瀧の記』
不動堂の前に「はせを翁」の碑があった。
享和3年(1803年)10月12日、高田社中建立。
耕月庵の句碑
孝の徳世々になかれて瀧すゝし
この碑は養老町大跡の人、戸倉耕月庵の残した句を女婿の六郎(竹圃)が明治10年(1877年)に建碑したものです。
耕月庵は通称六之丞といい、40歳の時家督を六郎に譲り、もっぱら六墨の道に親しみました。嘉永7年(1854年)、獅子門再和派十四世の道統を継ぎ蕉風を広げました。
「むすふより」の
芭蕉句碑
の建立者ともいわれ、明治4年(1871年)、61歳で没しました。
不動堂の裏に高野素十の句碑があった。
多芸輪中大垣輪中夏に入る
高野素十は
山口誓子
、阿波野青畝、
水原秋桜子
と共に『ホトトギス』の四Sと称された。
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