このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2009年

箕輪城跡〜芭蕉の句碑〜

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高崎市箕郷町東明屋に箕輪城跡がある。


箕輪城跡


日本100名城 のひとつである。

 明応・永正の頃(1492〜1521)、長野尚業(業尚)築城。

 永禄9年(1566年)9月29日、武田勢の総攻撃により落城。

 天正10年(1582年)、武田氏滅亡。

 天正18年(1590年)、徳川家康は井伊直政を12万石で箕輪城に封じる。

 慶長3年(1598年)、直政は城を 高崎 に移す。

本丸跡


天守閣はなかった。

古井戸があった。


御前曲輪 井戸

 昭和2年(1927年)8月15日、豪雨のため一部地盤が沈下したのがきっかけで古井戸が確認されました。

 深さは20mで、底から長野氏累代の墓石が多数掘り出されました。

古井戸の奥に芭蕉の句碑があった。


夏草や兵ともか夢の跡

 元禄2年(1689年)5月13日(新暦6月29日)、平泉の 高舘 で詠まれた句。

『はせをつか』 (楓幻亜編)に収録されている。

 筆者は安田一雨(箕郷町東明屋)だといわれています。

 一雨〈元文5年(1740年)〜文政11年(1828年)〉は通称磯右衛門といわれ、前橋の 松井素輪 に俳句を学びました。

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