このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2009年

敷島公園ばら園〜萩原朔太郎〜
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前橋市敷島町に敷島公園ばら園がある。


敷島公園ばら園


敷島公園ばら園に 萩原朔太郎 の詩碑があった。


わが故郷に帰れる日
汽車は烈風の中を突き行けり
ひとり車窓に目醒むれば
汽笛は闇に吠え叫び
火焔(ほのほ)は平野を明るくせり
まだ上州の山は見えずや

萩原朔太郎・「帰郷」の詩碑

 この詩碑は、昭和30年5月萩原朔太郎の13回忌に建立除幕された。萩原朔太郎詩碑としては最初のものである。

 敷島公園松林は、詩人が生前こよなく愛した地であり、前橋にあったころは、しばしば散歩に訪れた場所でもあった。碑面の作品は詩集『氷島』に収録されているが、その冒頭6行を刻んだものである。文字は詩人の自筆ペン書きを拡大したものである。

(財)前橋観光コンベンション協会

萩原朔太郎記念館


土  蔵

 萩原家の敷地の南東の位置にあり、表通りからはっきりと見えた。鬼瓦の下の「萩」の文字が萩原家の所有を物語っている。朔太郎の妹、津久井幸子さの回想によると、明治34年(1901年)もしくは35年(1902年)ころ建てられた。昭和20年の前橋空襲の際、この土蔵が延焼を食い止めた。ここに保存されていたノート、原稿など数多くの朔太郎資料が今日残ったのも、この土蔵があったればこそである。

離れ座敷

 母家と接続する渡り廊下で結ばれた萩原家の客間である。 朔太郎の父密蔵が明治25年(1892年)ころ建てたもので、8畳の部屋と床の間、円窓のある水屋がある。この部屋からは築山をあしらった立派な庭園が眺められた。 北原白秋若山牧水室生犀星 などがこの部屋で歓談した。土蔵と離れ座敷および池の位置は往時のまま復元されている。

大正3年(1914年)2月、室生犀星前橋来訪。
大正4年(1915年)1月、北原白秋来橋、1週間ほど滞在。
大正8年(1919年)6月、若山牧水来訪。

書  斎

 生家の裏庭にあった味噌蔵を改造したもので、大正2年(1913年)秋に工事をはじめ約3ヶ月を要して完成した。内部はすべてセセッション式統一され、二重カーテンレールが施され、カーテンは東京三越から取り寄せた。机、椅子も朔太郎自身の考案による特注品をあてた。『月に吠える』『青猫』などの作品は、この書斎でで書かれたのである。またマンドリンのレッスンにも使われ、「音楽室」とも呼ばれた。北原白秋・室生犀星も来訪した。

前橋市

マンドリンをもつ朔太郎


高校中退して帰郷しているころ

敷島公園ばら園の北にしきしま老人福祉センターがある。


しきしま老人福祉センターに 村上鬼城 の句碑があった。


山畑に石垣をつむ遅日かな

昭和33年(1958年)4月、建立。

村上鬼城翁逝いて二十一年ここに遺墨を録して

師翁の高風を偲ぶ 昭和三十三年暮春

三葉 関口高次郎建之

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