このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
〜
2008年
〜
館林市第二資料館
〜田山花袋旧居〜
館林市の
県立つつじが岡公園
から尾曳橋を渡る。
城沼
嘉永5年(1852年)4月1日、吉田松陰は足利から館林に入る。
橋を越ゆれば則ち邑樂郡木戸村にして館林の領する所なり。行くこと一里許り、館林に入る。秋元但州六萬石の都城なり。
『東北遊日記』
館林市第二資料館に田山花袋旧居があった。
館林市指定文化財
田山花袋旧居
田山花袋
(本名−録弥)は明治11年4月より同19年7月まで、およそ8年間をこの家で過ごし、玄関東側4畳の間で勉学したと言われる。
花袋は近代日本文学において自然主義文学の大作家として文豪の名を高め、その作品は長短を合わせて、およそ320編にも及び、代表作に『田舎教師』等がある。
また、この家は明治維新前の武家屋敷でもあり、永久保存を図るため昭和56年、これより北方600米(城町14−37)から解体移築したものである。
館林市の文化財第1号だそうだ。
文豪田山花袋像
群馬県指定重要文化財
旧上毛モスリン事務所
モスリンはメリンスのこと。薄く柔らかい毛織物。
明治41年(1908年)から43年にかけて館林城二の丸跡に建てられたものだそうだ。
『田舎教師』の小林秀三は、新調のメリンスの兵児帯をして赴任した。
羽生からは車に乗った。母親が徹夜して縫ってくれた木綿の三紋の羽織に新調のメリンスの兵児帯、車夫は色のあせた
毛布
(
けっとう
)
を袴の上にかけて、梶棒を上げた。なんとなく胸がおどった。
私の旅日記
〜
2008年
〜に戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください