このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
白雄の句碑
鄙曇必与山子規
上田市二の丸に
上田城跡公園
がある。
上田城三櫓
平成6年(1994年)、復元。
上田城跡公園本丸跡に加舎白雄の句碑があった。
加舎白雄の句碑
鄙曇必与山子規
正風中興の鼓吹者春秋庵白雄翁は我上田の城主松平伊賀守の臣加舎忠兵衛の二男なり。藩中この俳傑を出だす。寔
(まこと)
に此地の誇りとす。而して山子規の吟、自ら当城址の風物に適ふ。今茲に有志協力斯句碑を建て以て翁を記念し、且つ将来の俳士を励ますと云爾。
大正八年四月十三日 松宇伊藤彰撰並書
安永3年(1774年)4月、加舎白雄が上田を去って
碓氷峠
を越え、1年ぶりに江戸へ帰る時の作。
碓氷嶺をこゆる二句
鄙曇かならずよ山ほとゝぎす
鷹の糞見つゝなツ山しげきかな
白雄坊
安政6年(1859年)10月18日、
伊藤松宇
は長野県小県郡上丸子村に生まれる。本名半次郎。
大正15年(1926年)、松宇は文京区関口の
芭蕉庵
に住んだ。
昭和18年(1943年)3月25日、松宇没。
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