このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2012年

西方寺〜麻刈墳〜
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竹原市本町3丁目の高台に西方寺という寺がある。


永禄3年(1560年)、開山と伝えられている。

浄土宗 の寺である。

西方寺の石段


竹原の家並みを見下ろす。


 明治43年(1910年)11月14日、 河東碧梧桐 は竹原で 荻原井泉水 に会った。

 予と玉島に会する筈であった井泉水が突然尋ねて来た。大阪では箕面の紅葉を見、次で宮島の紅葉を見に行く途中だとのことだ。去年四月甲州御嶽に袂を分った以来の会合なので久し振りに談敵を得た心持であった。同人消息も尽きぬうち、話柄はいつか俳論に入った。最近予の感ずる所を彼に質して、漠然たる予の見解を明瞭ならしめんと希(ねご)うたのである。


西方寺本堂


元禄15年(1702年)、建立。

本堂右手の高台に普明閣がある。


宝暦8年(1758年)、建築。

本尊は木造十一面観音立像。

普明閣の下に「麻刈墳」があった。


文政10年(1827年)、竹原の俳人朝輝が芭蕉を讃えて建立。

同時に『さくら麻集』を刊行。

朝輝は塩浜庄屋中村儀三の俳号。

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