このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2015年

鞆の港〜鞆七卿落遺跡〜
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鞆の浦を歩いてみた。

鞆の港


鞆の港   福山市鞆町

 瀬戸内海の中央に位置する鞆は内海の潮の干満の分岐線にあたります。

 内海を航行する多くの船はこの潮に乗っての航法であったので「潮待ち」をここでおこないました。こうしたことが多くの伝説を生み、万葉集に歌われることとなり、中世から近世にかけて歴史上の舞台として度々登場してきたゆえんであるといわれています。

 この船着場の雁木は文化8年(1811年)に、常夜灯は安政6年(1859年)<再建>に造られたもので、いずれも花山岡岩製です。

 なお、この船着場に臨む建物は背後の保命酒屋旧中村家(県史跡鞆七卿落遺跡)に関連するものです。

 明治以降、鉄道の開通、汽船の就航等により「潮待ち」をする船もなくなってしまいましたが、今日でも、当時の港の活況を彷彿させる港湾施設がよく残っています。

 沖に突出する波止・常夜灯・雁木とよばれる階段状の船着場・港に面している豪商、廻船問屋とその土蔵等々、江戸時代の港町鞆の繁栄ぶりを示すものです。

福山市教育委員会

 嘉永6年(1853年)10月12日、吉田松陰は長崎に赴く途中で鞆を過ぎ、御手洗に停泊。

十二日  早に舟を發し、鞆を過ぎ、御手洗に到りて泊す。


太田家住宅


太田家住宅・太田家住宅朝宗亭
鞆七卿落遺跡

 維新の夜明けも近い文久3年(1863)8月18日、尊皇攘夷を主張する三条実美ら7人の公家は、公武合体派に追われ都落ちをしました。一行は、ここ「保命酒(ほうめいしゅ)屋」に立ち寄り、その時、三条実美は、保命酒(竹の葉と表現)をたたえる和歌を残しました。主屋の太田家住宅と向かいの「朝宗亭」(ちょうそうてい)は、18世紀〜19世紀初期の建物であり、共に国の重要文化財に指定されています。

世にならす鞆の港の竹の葉を斯くて嘗むるも珍しの世や

保命酒

本家醸造元(株) 岡本亀太郎本店 (HP)


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