このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

今年の旅日記

南大通り〜啄木碑巡り〜
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釧路の夜明は早い。

釧路には啄木歌碑が25基もあるそうなので、朝食前に少し探してみた。

佐藤忠良作「夏の像」


幣舞橋を渡り、南大通りへ。

「啄木ゆかりの人小奴碑」があった。


明治41年1月21日 石川啄木 妻子をおいて単身釧路に来る
同年4月5日当地を去るまで釧路新聞社に勤め記者として健筆をふるえり

   あはれ国のはてにて
   酒のみき
   かなしみの滓を啜るごとくに

当時の生活感情を啄木はこのようにうたう
当時しやも寅料亭の名妓小奴を知り交情を深めり

   小奴といひし女の
   やはらかき
   耳朶なども忘れがたかり

   舞へといへば立ちて舞ひにき
   おのづから
   悪酒の酔ひにたふるるまでも

漂浪の身に小奴の面影は深く啄木の心をとらえ生涯忘れ難き人となれり
小奴もまた啄木の文才を高く評価し後年旅館近江屋の女将となり七十有余年の生涯を終るまで啄木を慕い通せり
今 此処小奴ゆかりの跡にこの碑を刻み永く二人の追憶の記念とす

   昭和41年11月
朝日生命保険相互会社

明治44年(1911年)、 野口雨情 は釧路で「小奴」に逢っている。

 実は私は札幌で石川を始めて知つて、それから小樽の小樽日報へ一緒に入社したのであつた。小奴は
 『あなたのお名前は何とおつしやいますか。』
と、不安さうな瞳をみはつて尋ねるのであつた。
 『私は野口といつて石川君とは札幌からの懇意だもの。』
 『まあ、あなたが野口さんでしたか、それでは石川さんから始終あなたのお噂を聞いてゐました。それにしても今石川さんは何処どこにゐらつしやるのでせうか。』

「石川啄木と小奴」

啄木ゆめ公園

 平成9年、この地に公園が完成し、愛称名を公募いたしました。

 啄木は、東京へ行って作家活動をしたいと言う夢を持ってこの周辺を歩いていたことでしょう。そんな啄木の夢を想って「啄木ゆめ公園」と名づけられました。

啄木名歌の選


さいはての駅に下り立ち
雪あかりさびしき町に
あゆみ入りにき

啄木ゆめ公園の向かいにシーサイドハイツがある。

啄木の下宿跡

 啄木は、釧路に着いた2日後には、洲崎町1丁目にあった関下宿(関サワ)の2階8畳間で釧路での生活をはじめました。現在、下宿は残っていませんが、この関下宿で日記や長い手紙を書いておりました。



こほりたるインクの罎を
火に翳し
涙ながれぬともしびの下

平成23年(2011年)10月31日、釧路シーサイドホテル営業終了。



わが室に女泣きしを
小説のなかの事かと
おもひ出づる日

平成4年(1992年)11月、建立。

釧路信金南支店

啄木名歌の選


神のごと遠く
姿をあらはせる阿寒の山の
雪のあけぼの

7首とも 『一握の砂』 収録の歌である。



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