このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

『奥の細道』


〜芭蕉の遺跡〜

 東北自動車道矢板ICから県道30号矢板那須線を通って国道461号(日光北街道)に入る。


塩谷町玉生があり、「芭蕉の遺跡」がある。


前に探した時は見付からなかった。

 「芭蕉遺跡 尾形医院」という小さな立て札があるだけ。「尾形医院」も移転してしまっている。車で通っても見付からないわけだ。

「奥の細道 芭蕉翁の遺跡」


 元禄2年4月2日(陽暦5月20日)、芭蕉は塩谷町玉生の農夫の家に一夜を借りた。

 那須の黒ばねと云所に知人あれば、是より野越にかゝりて、直道をゆかんとす。遥に一村を見かけて行に、雨降日暮る。農夫の家に一夜をかりて、明れば又野中を行く。

〇船入ヨリ玉入ヘ弐リ。未ノ上尅ヨリ雷雨甚強。漸ク玉入ヘ着。

一 同晩 玉入泊。宿悪故、無理ニ名主ノ家入テ宿カル。

『曽良随行日記』

 この「玉入」が「玉生」で、「農夫の家」が「尾形医院」の前身、代々庄屋をつとめた「玉生氏」なのだそうだ。

 「芭蕉の遺跡」がある通りを「芭蕉通り」と言うそうだ。しかし、芭蕉にゆかりがあるのは、この「芭蕉の遺跡」だけ。「かさねとは八重撫子の名成べし 曾良」の句碑があるわけではない。

「芭蕉の遺跡」のすぐ近くに「和気記念館」がある。


 何の記念館か、分からないが、車を停めると、中からジッと見ている。入らないわけにはいかなくなった。

 入ると、展示室のカギを開けた。日曜日の午後だというのに、今日初めての客かもしれない。入館料500円は高いような気もしたが、仕方がないのだろう。

 この記念館は”幽玄の画家”故和気史郎画伯の生家の石蔵を改修した美術館。

和気史郎の作品は、主に日本の古典芸能「能」を題材としている。


大谷石の蔵の中は「幽玄の世界」


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