このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

『奥の細道』   〜北陸〜


芭蕉翁 おくのほそ道 宿泊のまち

滑川市荒町に荒町児童遊園がある。


荒町児童遊園に「芭蕉翁 おくのほそ道 宿泊のまち」の碑があった。


なめりかわ宿場回廊6

芭蕉「奥の細道」と川瀬屋

 元禄2年(1689年)、松尾芭蕉と同行の曾良は、奥の細道の旅の途中、7月13日(新暦では8月27日)の夕方滑川に着き宿った。旅籠の川瀬屋という説が有力でこの辺りにあった。宝暦13年(1763年)に『俳諧早稲の道』を著した川瀬知十は翁の宿泊を記念して自家の壇那寺である 徳城寺 の境内に「早稲の香や分け入る右は有磯海」の吟詠を刻んだ句碑を建立した。徳城寺は、この頃はまだ新(荒)町の海辺にあったが、明治13年(1880年)に、句碑とも現在地に移転した。

【荒町の成立】

 新町は、大町、瀬羽町に次いで、慶長年間に新しくできた町であったと伝えられる。海岸線に平行して東西に北国(北陸)街道が走り、その両側に家並みが連なり、浜に抜ける小路が発達した。

滑川市

「曽良随行日記」の碑


元禄二年七月十三日

下尅、滑河着、宿。暑氣甚

 平成元年(1989年)10月、奥の細道紀行300年記念に滑川市建立。山岡壽海書。

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