このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

『奥の細道』   〜北陸〜


〜芭蕉のわたし〜

川北町木呂場の旧北陸街道沿いに「明治天皇御休所公園」がある。


「明治天皇御休所公園」に「芭蕉のわたし」の碑があった。


昭和55年(1980年)4月1日、川北町制施行記念に川北町俳句協会建立。

   奥の細道加賀路行脚

芭蕉のわたし

 元禄2年(1689年)7月24日(陽暦9月7日)早朝、金沢を出発した松尾芭蕉は、曽良、北枝、竹意を同道して北陸街道の野々市、松任を経て小松に向った。途中わが川北町の木呂場あたりから粟尾宿場に到ったと思われる。曽良日記に見える小松到着の時刻等を勘案すれば、手取川の渡渉はおそらく残暑も厳しい、午頃であったろう。

 藩政時代の公道である北陸街道に沿う木呂場の里に、芭蕉、曽良の一行が奥の細道行脚の足跡を止めたことは、銘記すべきことと言わなければならない。

 元禄の昔を忍び、俳聖を追慕し、このゆかりの地に石碑建立の悲願を立て、久しいものがあったが、時至り町制施行という歴史的佳節を迎えて、茲に建碑の実現を見たことは欣びとするところである。願わくは、この碑が町文化の証として、手取川の清流とともに永く伝えられることを念じてやまない。

 建碑に当り町の多くの有識諸賢の多大なる御協力を賜ったことに感謝に堪えない。

      途中吟

    あかあかと日は難面もあきの風

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