このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

『奥の細道』   〜北陸〜


〜弘智堂〜

長岡市寺泊野積に 西生寺 (HP)という寺がある。


西生寺と弘智法印即身仏

西生寺は天平5年(733年)に僧 行基 が開いた 真言宗智山派 の古刹である。古くは親鸞聖人も止錫した(恵信尼消息)と伝えられ、樹齢800年の大銀杏は寺泊町文化財に指定されている。

広い境内の一角に建つ弘智堂には、貞治2年(1363年)に入定した弘智法印のミイラ仏が安置されている。弘智法印は下総国匝嵯村(八日市場市)の僧で、各地の修行を経てこの地で即身仏になったという。

(新潟県・長岡市)

弘智堂


元禄2年(1689年)7月4日、芭蕉は西生寺で弘智法印像を参拝している。

 四日 快晴。風、三日同風也。辰ノ上刻、彌彦ヲ立。弘智法印像為拝。峠ヨリ右へ半道斗行。谷ノ内、森有、堂有、像有。二三町行テ、最正寺ト云所ヲノズミト云濱へ出テ、十四五丁、寺泊ノ方ヘ來リテ左ノ谷間ヲ通リテ、國上へ行道有。荒井ト云、塩濱ヨリ壱リ計有。寺泊ノ方ヨリハワタベト云所ヘ出テ行ク也。寺泊リノ後也。壱リ有。同晩、申ノ上刻、出雲崎ニ着、宿ス。夜中、雨強降。

『曽良随行日記』

弘智堂の手前に「芭蕉」の句碑があった。


文月やからさけおかむのすみ山

出典は 不詳

   コウチ法印の霊地にて

みな月やから鮭拝む野栖山


平成元年(1989年)8月18日、芭蕉翁おくのほそ道紀行300年記念に建立。

宝永5年(1708年)4月、各務支考は木曽から越後へ旅をする。

宏智法印
東花坊

      爰に此由身を拜して あなたふと
      薄も生ず夏の山 と申侍るか一句
      の姿ちからなきやうにて此法印に
      あざむかれんも口おしければ

   六月は空鮭おがめ鯛よりも


寛政3年(1791年)5月4日、鶴田卓池は弘智堂を訪れている。

四日 雨降 二り山田 二り寺泊 弐里半

野積村海雲山西浄寺ト云寺有 奥ノ院岩坂不動か

滝ニ入定し給ふ弘智法印星霜四百余年ニおよぶと聞と

今ニ形□然たり 今ハ本堂ノ上ニ草庵アリ 是ニ安置ス

『奥羽記行』 (自筆稿本)

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