このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
『奥の細道』
〜北陸〜
〜天龍寺〜
えちぜん鉄道勝山永平寺線で永平寺口から松岡へ。
平成15年(2003年)、えちぜん鉄道開業。
天龍寺へ。
清凉山天龍寺
曹洞宗
永平寺の末寺である。
天龍寺に
芭蕉塚
があった。
松岡町指定文化財
芭蕉塚
芭蕉塚は松尾芭蕉(1644〜1695年)の百五十回忌に同好の人たちによって天保15年に建てられた。
芭蕉は松岡天龍寺大夢和尚を訪ね、元禄2年(1689年)の8月11日、芭蕉は北枝と共に天龍寺を旅立ち、町はずれの茶屋に休まれたと伝えられている。その茶屋で北枝との別れに臨み、贈答句を作った。
物書て扇引さく餘波哉
芭蕉は元禄2年3月に江戸を立ち、東北、北陸を経て同年9月の大垣までの旅行が『奥の細道』に記され、この地に立ち寄ったことがわかる。
この芭蕉の訪れは、、松岡俳壇が生まれる大きな要素となった。
松岡町教育委員会
芭蕉の句碑
物書きて扇引きさく余波かな
昭和53年(1978)8月、松岡町善意會建立。
丸岡天竜寺の長老、古き因あれば尋ぬ。又、金沢の
北枝
といふもの、かりそめに見送りて此処までしたひ来る。所々の風景過さず思ひつヾけて、折節あはれなる作意など聞ゆ。今既別に望みて、
物書て扇引さく余波哉
『奥の細道』
余波の碑
平成元年(1989年)9月9日、芭蕉翁来松三百年記念事業実行委員会建立。
松岡にて翁に別侍し時、あふぎに書て給る。
もの書て扇子へぎ分
(わく)
る別哉
翁
笑ふ
(う)
て霧にきほひ出ばや
北枝
となくなく申侍る。
天龍寺で詠まれたとされる句がある。
天龍寺にて
門に入は蘇鉄に蘭の匂ひかな
『風羅袖日記』
丸岡天龍寺にいたりて
門に入ハ蘇鉄に菊の匂ひかな
『奥の枝折』
丸岡天龍寺にて
門に入ば蘇鉄に蘭の匂ひ哉
一本に守栄院にてとあり、いづれかしらず。
『芭蕉翁句解参考』
「一本」は
『笈日記』
(伊勢部)であろう。
2006年2月13日、松岡町は合併で永平寺町になった。
『奥の細道』
〜北陸〜
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