このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2011年
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陸上自衛隊武器学校
〜「若鷲の歌」の歌碑〜
阿見町青宿の
陸上自衛隊武器学校
(HP)に行ってみた。
武器学校だから武器が展示してある。
九四式三十七粍速射砲
ノモンハン事件の対戦車戦闘で近距離で威力を発揮したが、遠距離でソ連の対戦車砲に破壊された。その後の戦績は振るわななかった。
対戦車戦闘に使えるものには思えなかった。
90式戦車
最新の国産主力戦車は10式戦車。
雄翔館の前に山本五十六元帥像があった。
昭和18年(1943年)秋、設置。
平成16年(2004年)1月、復元。
霞ヶ浦湖畔のこの地は かつて旧海軍飛行予科練習生揺籃の地 土浦海軍航空隊の一隅であります
往時 旧海軍は大艦巨砲主義が主流で 航空機は補助的兵器に過ぎませんでしたが 山本元帥は霞ヶ浦海軍航空隊副長時代夙に兵器として高い評価を下し その搭乗員養成と航空機産業充実発展に多大の貢献を果たし 海上戦闘の在り方を大きく転換させ 自らの慧眼を立証したのです
予科練は元帥を慈父と仰ぎつつ その中心的戦力となって各地に転戦し 元帥がニューギニアのブーゲンビル島南端 ブイン上空で機上戦死された以後は その仇討ちとばかり一機一艦の決死的死闘を展開しましたが 国力の決定的な差異は如何とも成し難く 遂に衆寡敵せず降伏を余儀なくされました
この度 海原会は元帥のこの歴史的事実を象徴させ 偉業を後世に伝承の為に元帥像の復元を決議し 会員有志のご芳志により 再びこの地にその再建を果たした所以です
平成16年2月吉日
財団法人 海 原 会
上記、元帥の戦死場所がニューギニア ブーゲンビル島南端とありますが、正確にはニューギニア沖 ソロモン諸島ブーゲンビル島南端です。
昭和4年(1929年)12月、予科練習生の制度が設けられた。
昭和12年(1937年)、甲種飛行予科練習生制度を設けた。
昭和14年(1939年)3月、横須賀の追浜基地から霞ヶ浦海軍航空隊に移転。
昭和17年(1942年)12月、七つ釦の制服を採用。
「若鷲の歌」の歌碑があった。
西条八十
作詞 古関裕而作曲
由来
昭和18年、太平洋戦争は正に決戦の様相を呈し、国家総動員で戦争の道を突進していた頃、映画「決戦の大空へ」が製作され、その主題歌「若鷲の歌」が生まれた。
作曲された2曲のうちから在隊中の飛行予科練習生によって選ばれたのが、この曲である。
少年達の大空への限りない夢とあこがれを乗せながら、祖国愛と先輩達への畏敬の念をこめて歌ったこのメロディーは、やがて国民的な歌謡となり、今もなお広く愛唱され続けている。
その若く美しい青春を祖国に捧げた予科練出身戦没者の鎮魂と永遠の平和への祈りをこめて、ここに歌碑を建立する。
刻まれた五線譜は、作曲者の直筆である。
昭和55年10月
財団法人 海 原 会
古関裕而は「栄冠は君に輝く」(全国高等学校野球大会の歌)作曲である。
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