このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2014年
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多賀市民プラザ
〜西行の歌碑〜
日立市千石町に多賀市民プラザがある。
多賀市民プラザは、日立製作所の福利厚生施設であった清和館の跡地に日立市の多賀地区関係の施設を建設し、2006年4月にオープンしたものだそうだ。
多賀市民プラザのよかっぺ通り沿いに五世白兎園宗瑞の句碑と
西行
の歌碑があった。
西行の歌碑
五世白兎園宗瑞の句碑
一、山遠奴具力霞球し亭春農水 五世白兎園宗瑞
(やまをぬくちからかくして春の水)
この句は白兎園宗瑞の作である。宗瑞は江戸時代に活躍した俳人で、宝暦4年(1754年)大久保村古賀内(現在の桜川町)鈴木家に生れ、左内と称し志津麿とも言った。幼時にして向学心に燃えていた。16才のとき厳父の反対を推しきり江戸に出て、刻苦勉励し水戸の支藩松平大炊守の家臣となり家老職となる。
また俳道にも優れ、三世宗瑞の門人となり、のち宗瑞五世を継ぎ、その門人は数百人あったという。文政3年(1820年)66歳で没した。江戸大塚富士見坂善心寺に葬ったが、その門人達が俳徳を慕って、生れ故郷にこの代表作を刻んで建立したものである。
左の石碑が西行歌碑です。
一、おふ國分
(くぼ)
の田のもの蛙名のみしてね覺せよとて鳴く声ぞうき
西行法師が行脚の際、この地に来て現在の千石町にあった絵馬堂に1泊した時に詠まれたと傳へられている。この碑は2基とも創建地は現在の千石町1−4−26で、昔は旧国道より古賀内、諏訪方面への入口であったので、碑の左下に「水阿なみち」の刻字がある。
碑は先に都市計画により日立市大久保小学校に移設されたが、昭和53年戊午仲春に常陸多賀駅前に日立南ロータリークラブの奉仕で移設した。
この度、日立南ロータリークラブ創立45周年記念事業の一環として、多賀市民プラザの完成を期に、この地に移設された。
寛政12年(1800年)、四世宗瑞は臥龍庵東園に白兎園を譲る。
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