このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
雲天寺
〜斎藤若雨〜
茨城県守谷市守谷に雲天寺という寺がある。
八幡山雲天寺
浄土宗
の寺である。
雲天寺に斎藤若雨の墓がある。
斎藤家は江戸時代初期から名主役を務めていた家柄で、代々徳左衛門を称していた。
宝暦4年(1754年)3月、
白井鳥酔
は筑波山詣の途上斎藤家に滞在して将門の遺跡を訪ねている。
ことし甲戌春三月筑波山詣の頃総陽相馬郡守谷の郷斎藤氏の宅に淹流す
『天慶古城記』
小林一茶は守谷では
西林寺
を宿とし、斎藤家にもやって来て句会を開いているそうだ。
文化14年(1817年)8月24日、国学者高田与清は齋藤徳左衛門を訪れている。
むらぎみ齋藤徳左衛門 が家をとぶらひしに、あるじよろこびて、俳諧師鳥醉 がこの里に遊びしをりしるせし記
(ふみ)
などとう出て見せたり。
今宵は文伯が家にやどる。
鶴老上人
師・齋藤氏相ぐしておはしたれば、よもすがら宇治大納言物語のこうぜちして人々丑の四などいふころにねぬ。
『相馬日記』
天保11年(1840年)4月2日、若雨没。
若雨の句
十人が十色に寝たる厚さかな
『三韓人』
梟も夜寒をなくやうらの山
『たねおろし』
思ふよりいふより早く積る雪
『石碑供養』
若雨の子孫斎藤隆三氏は明治8年(1875年)生まれ。東京帝国大学在学中に郷土守谷の歴史をまとめた『守谷志』を刊行。
昭和28年(1953年)、
西林寺
に一茶の句碑を建立。
行くとしや空の名残りを守谷まで
昭和36年(1961年)、86歳で没。
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