このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2010年
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雑草園
〜山口青邨〜
北上市本石町に詩歌の森公園がある。
詩歌の森公園に日本現代詩歌文学館がある。
日本現代詩歌文学館に隣接して
山口青邨
の三艸書屋と雑草園が復元されていた。
大正11年(1920年)、青邨は及川古志郎の妹イソと結婚。
及川古志郎は旧制岩手県立盛岡中等学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)出身。1学年上に米内光政、3学年下に
石川啄木
がいた。
昭和6年(1931年)、青邨は東京都杉並区和田本町のこの家に移り住み、生涯をここで過ごした。
三艸書屋書斎
八月十五日終戦記念日、戦中庭に落ち火を噴きし焼夷弾、その殻を筒とし庭の向日葵を挿すを例とす
焼夷弾筒向日葵をさす敗戦日
昭和54年作『日は永し』所載
床の間
私の家の界隈は五月二十四日の夜、東京最後の
空襲
だった。焼夷弾が花火のように降り注ぎあたりは火の海、横なぐりに火の粉、焔の塊が飛んできた、熱風で眼があけられなかった、茂った木や草や竹藪がばらばら火の粉をふり落した。
一本の焼夷弾の殻がある、庭につきささってぼうぼう火を噴いていたのだ。金属製の筒、花活けに手頃だ、終戦三十年、花を活けて床に飾ろうと思う。
花は何にしよう、鹿の子百合、向日葵、どっちも庭の花だ。
『三艸書屋』雑筆所載「終戦の日」より抜粋
和室外観
青邨の句碑
菊咲けり陶淵明の菊咲けり
昭和10年(1935年)の句。
『雪国』に収録。
「飲酒二十首」(其の五)
結盧在人境 而無車馬喧
問君何能爾 心遠地自偏
采菊東籬下 悠然見南山
山気日夕佳 飛鳥相與還
此中有真意 欲辨已忘言
平成5年(1993年)、建立。
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