このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

今年の旅日記

妙法寺〜蕪村の句碑〜
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丸亀市富屋町に 妙法寺 (HP)という寺がある。

妙法寺山門


明和3年(1766年)から明和5年(1768年)の間に数回にわたって来遊した俳人画家・ 与謝蕪村 が当寺に滞在して揮毫した大作6点があり、一名、蕪村寺とも言う。

山門を入ると、本堂の前に蕪村の句碑が2基あった。


長尻の春をたたせて棕梠の花

明和5年(1768年)、蕪村が讃岐から京都へ帰るときに当山で詠み残した句。

平成10年(1998年)5月、妙法寺中興四百年に建立。



門を出れハ我も行く人秋の暮れ>

蕪村が妙法寺を去ってから6年後、59歳の時の作。

昭和51年(1976年)10月、丸亀市民俳句会建立。

妙法寺本堂


本尊は金剛界大日如来。

天台宗 の寺である。

 天平年間に 行基菩薩 が豊田郡和田村(現在の香川県三豊郡豊浜町和田)の正因山に一宇のお堂を建立したことに始まる。

 慶長2年(1597年)、丸亀城主生駒親正公の命により当山中興一世日眼上人の時、現在の地に移った。

 明治43年(1910年)10月23日、河東碧梧桐は蕪村寺のことを書いている。

 十月二十三日。晴。

 この地に異名を蕪村寺というのがある。蕪村に縁故のある寺で、久しく滞留しておった事跡もある。蕪村筆の大幅及び襖など珍蔵しておるとの評判であったけれども、近くそを見た人が殆どない。予の着亀後同人一同でそを観る手段を各方面からめぐらしたけれども単に今日は拝観を許さぬとのみで要領を得なかった。その大作や襖などは、俗な住持のため疾くその影を失したので、今は拝観せしめようにも、その実物は寺中に存在せぬ、言わば蕪村寺も昔の名残を止めた空名と見限ってその後は何の交渉もせぬ、との話である。


昭和44年(1969年)、 山口誓子 は妙法寺で蕪村の遺墨を見ている。

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