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私の旅日記
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2011年
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善通寺
〜弘法大師〜
善通寺市善通寺町に
善通寺
(HP)があったので、立ち寄ってみた。
五岳山善通寺
善通寺は弘法大師御誕生所。
宝亀6年(774年)6月15日、弘法大師は善通寺の地に御誕生になった。
弘仁4年(813年)6月15日、善通寺落慶。
父佐伯直田公の諱「善通
(よしみち)
」をとって「善通寺」と号したという。
真言宗
善通寺派の総本山。
また
四国八十八ヶ所霊場
の75番札所でもある。
五重大塔
高さ45.5m。
明治17年(1884年)、弘法大師入定壱千五拾年遠忌に完成。
貞亨2年(1685年)9月22日、大淀三千風は善通寺に着いた。
○廿二日出釋迦曼荼羅寺。高山寺をめぐりめぐりて。屏風裏誕生院善通寺につく。やがて院衲宥謙力生に清談せしに。徳老も本居
(うぶすな)
は濱荻の國となん。
『日本行脚文集』(巻之五)
金堂
本尊は薬師如来。
貞享年間に再建。
文政10年(1827年)5月23日、
鶴田卓池
は善通寺に参詣。
五ツ半頃吸海樓ヲ立、五岳山誕生院に詣。
此辺、元入海ニテ屏風か浦ノ名有。屏風か浦と云処ハ弥谷ノ下白方ト云処也。
五岳山、我拝師山、香色山、火上山、中山、[筆山]是ヲ弘法大師ノ五山ト云。
『西遊日記』
嘉永6年(1853年)2月7日、吉田松陰が金刀比羅宮に行く途中、善通寺があった。
七日 晴。早く起き、同舟皆金毘羅に赴く、余も亦同じうす。ここより金毘羅市に至る、三里。中間に善通寺あり、弘法大師の誕生所と相傳ふ。
『癸丑遊歴日録』
昭和6年(1931年)10月31日、
与謝野寛・晶子
夫妻は善通寺を訪れている。
沙門よし金堂をもてもろこしの青龍寺をばうつし得るなど
善通寺朱門どほりの名を聞けど臺どころより暗き秋かな
「緑階春雨」
旅の途中で立ち寄るようなお寺ではなかった。
善通寺の末寺に
玉泉院
がある。
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