このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記

西郷隆盛銅像〜敬天愛人〜
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鹿児島市城山町の国道16号沿いに西郷隆盛銅像があった。



敬天愛人

−天を相手に人生を全うした誠心の英雄−

  西郷隆盛 は幕末維新の指導者で、明治天皇の信頼が厚く、日本最初の近衛都督陸軍大将になりました。

 文政10年(1827年)下加治屋町郷中(したかじやまちごじゅう)に生まれた西郷は、幼名を小吉(こきち)、通称を吉之助といい南洲と号しました。青年時代に二才頭(にせがしら)として農政に関する意見書を提出。藩主島津斉彬(なりあきら)の目にとまり側近に抜擢され、国事への関心を高めました。ところが、その斉彬が急死。勤皇僧月照と錦江湾に投身、一人生き残って大島に流されました。その後、大久保利通らの助けで幕府を倒す運動に復帰。藩論を指導し、薩長連合を結んで、王政復古の大号令を決行。東征大総督府参謀として江戸無血開城を実現しました。

 新政府が樹立した後は、参議として廃藩置県を断行。岩倉具視、木戸孝允(たかよし)、大久保利通らが外遊中の政府を預かりました。明治6年(1873年)遣韓使節をめぐる政争に敗れて東京から鹿児島に帰った後は、私学校を開き後進の指導にあたりましたが、彼らの血気に押され、ついに 西南戦争 へと突入。明治10年(1877年)西郷は城山で自刃しました。

 この銅像は、郷土出身の彫刻家 安藤照が習志野大演習で陸軍大将の制服を身につけた西郷の姿を思い描き制作したものです。

鹿児島市

昭和12年(1937年)5月23日、没後50年祭記念として製作し、完成。

安藤照は「忠犬ハチ公」の制作者だそうだ。

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