このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
知覧武家屋敷
〜日本の道100選〜
南九州市の知覧武家屋敷に行ってみた。
南九州市知覧伝統的建造物群保存地区
江戸時代、薩摩藩は藩内を113の外城(郷)と呼ばれる行政区画に分け藩内を治めました。外城では、行政庁である御仮屋を中心として麓と呼ばれる武士団の居住区があり、さらに町家・村落と続いていました。知覧もこの麓の一つで、御仮屋の前には城馬場が通り、これに直行して本馬場が通されています。馬場とは大路をいい、この馬場を挟んで麓の武家屋敷が形成され、随所に小路が配されています。知覧麓が今に見られるような姿に整備されたのは、18世紀の中頃であると伝わっています。
伝統的建造物群保存地区は、本馬場を中心とした東西約900メートル、南北約200メートルの範囲です。屈折する道路に沿い、石垣と生垣を連ねて屋敷地を区画し、道路から後退して、腕木門や石柱門を開く姿は優れた景観を見せています。主屋と馬場との間には枯山水様式などの庭園が造られ、これらの庭園のうち、特に価値のあるものは「知覧麓庭園」として国の文化財として指定されています。
伝統的建造物群保存地区は、鹿児島県に残る麓の代表的なもので旧観を良く伝えています。
鹿児島県南九州市教育委員会
旧高城家住宅
旧高城家住宅は、明治以前に建てられた武家住宅であり、「おとこ玄関」と「おんな玄関」の2つがある特徴を持っている。他の知覧型二ッ屋と同様に「おもて」と「なかえ」の二つの屋根の間に小棟を置いたタイプのもので、知覧だけにみられる。
2つの本棟と小棟の形、そこにできる屋根の造形は実に美しく、この構造は、知覧大工の創造力と技術によって完成されたものである。昭和に入り「なかえ」部分は失われていたが、平成6年3月に復元したものである。
日本の道100選
No.102 知覧武家屋敷通り
左右側面に歌が刻まれている。
心なく垣をこえたる朝がほはとなりの人もとがめざりけり
洞の谷同人 樋渡清兼
かりこみし門のはひりのかなめ垣若葉の色は花にまされり
洞の谷同人 池上真澄
空襲には遭わなかったそうだ。
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