このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
街 道
水戸街道
藤代本陣跡
取手市藤代に藤代公民館がある。
藤代公民館は藤代本陣跡にある。
旧藤代町指定文化財史跡
藤代本陣跡
藤代本陣は天正・文禄の頃(1573〜94)この地におかれ、名主であった飯田三左右衛エ門(横瀬主膳正繁の長男で、もとの名を刑部庸氏という)の子孫が代々勤めた。
本陣は、貞治2年(1363年)、足利義詮が京都にのぼるさい、宿舎に宿札をかかげて本陣と称したのが、その始まりといわれる。江戸時代には各宿駅におかれ、参勤交代の大名・公卿・幕臣が宿泊した。藤代本陣は、水戸街道(陸前浜街道)藤代宿の本陣である。
建物は、昭和30年2月、町村合併による庁舎建設のため取りこわされた。当時、木造茅葺造りの質素なものであった。唐破風造りの玄関は本陣の威容をとどめていた。
現在この百日紅と中央公民館脇の老松は、本陣玄関前にあったものである。
取手市教育委員会
2005年3月28日、藤代町は取手市に編入合併。
指定は解除された。
野竹雨城の句碑があった。
たんぽゝに照る陽曇る日陣屋跡
昭和56年(1981年)4月、藤代俳句会建立。
雨城は元茨城県俳句協会長。
平成4年(1992年)、逝去。
藤代公民館の北を小貝川が流れる。
国道6号藤代バイパスの橋が見える。
明治22年(1889年)4月3日、
正岡子規
は友人と二人で学友菊池謙二郎を訪ねて
常磐会寄宿舎
から徒歩で水戸に向かい、その日は藤代に泊まった。
まだ日は高ければ牛久までは行かんと思ひしに我も八里の道にくたびれて藤代の中程なる銚子屋へ一宿す。此驛には旅店二軒あるのみなりといへば其淋しさも思ひ見るべし。湯にはいり足をのばしたる心持よかりしが夜に入りては伸ばしたる足寒くて自らちゞまりぬ。むさくろしき膳のさまながら晝飯にくらべてはうまかりき。食終るや床をしかせてこれで寒さを忘れたれど枕の堅きには閉口せり。
『水戸紀行』
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