このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

街 道東海道


二川宿本陣資料館

豊橋市二川町中町に二川宿本陣資料館がある。


程なくふた川の駅に着く。此ところ家毎に、強めしをあきなふ見ゆれば

   名物はいはねどしるきこはめしや これ重筥のふた川の宿


二川宿本陣資料館


二川宿は、 東海道 五十三次の33番目の宿場。

史跡 二川宿本陣

 本陣とは江戸時代、公家・大名・幕府役人などが旅の途中、宿泊休憩した施設です。宿場の中央に大きな間口を占め、門・玄関・上段の間を備えた堂々たる建物でした。

 二川宿の本陣は、後藤五左衛門が中町の北側で勤めていましたが、再々の火災のため没落し、寛政5年(1793年)以降は紅林権左衛門に本陣職を譲りました。しかし、文化3年(1806年)12月の火災により紅林家も再起することができず、文化4年(1807年)以後明治3年(1870年)の本陣廃止まで馬場彦十郎が現在地において本陣を経営しました。

 馬場家本陣は、文化年間の間取図によると間口17間半(約32メートル)、敷地面積は525坪(約1,733平方メートル)、建坪は181坪余(約598平方メートル)と宿内一の建物でした。

 現在も享保年間の土蔵、宝暦3年(1753年)建築の主屋、文化4年本陣開設時に建築の玄関棟・表門が残り近世交通史上貴重な文化財となっています。

 豊橋市では、昭和60年本陣当主の馬場八平三氏より本陣敷地建物の寄付を受けたことを契機とし、本陣の保存と活用を図ることとし、昭和62年史跡に指定するとともに、翌昭和63年より3か年事業で、現存部分の改修及び明治以降取り壊されていた書院棟の復原工事を実施し、江戸時代の姿を再現しました。

 豊橋市教育委員会

   二河 白菅旅舎

旅籠屋に柿の葉ちつて布団哉
   千梅


 文化2年(1805年)11月11日、大田南畝は長崎から江戸に向かう途中で二川を越え白須賀の脇本陣に泊まる。

日のみぢかきに先をいそぎて、二川をこえ白須賀 の宿につく。酉の刻過なるべし。宿のあるじは脇本陣にして、桐屋惣次郎といへり。


 嘉永4年(1851年)3月28日、吉田松陰は藩主に従って江戸に向かう途中、 岡崎 から二川に至る。

一、二十八日  晴。卯後、岡崎を發す。大岡紀伊守の邸前を過ぎ、二川に至る。


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