このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
街 道
甲州街道
八日市宿跡
八王子八日町に「八日市宿跡」の碑があった。
甲州道中
八日市宿跡
八日市宿跡について
戦国時代の終わりごろ、それまで関東を治めていた後北条氏が滅ぼされると、豊臣秀吉の命を受け、徳川家康が新たな領主となりました。
家康の統治下となった八王子では、それまでの八王子城下(現在の元八王子)から現在の市街地へ街が移転され、新しい街づくりが始められました。まず東西の道(甲州道中)が整備され、東から横山・八日市・八幡の三宿が開かれました。
江戸時代に入ると、八王子は甲州道中の宿場町として、また地域経済の中心都市として発展しました。なかでも八日市宿は横山宿と並び本陣と脇本陣がおかれ、山上家や新野家が本陣役を勤めるなど、八王子の中心的な役割を担っていました。
四のつく日は横山宿、八のつく日は八日市宿で市が立ち多くの人々で賑わいました。
参考文献 江戸時代の八王子宿
元禄8年(1695年)8月11日、山口素堂は
「甲山記行」
の旅に出て、その日は八王子に泊まる。
文化3年(1806年)6月17日、菜窓菜英は
『山かつら』
の旅に出て、その日は八王子に泊まる。
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