このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2010年
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厚木村渡船場跡
〜渡邊崋山來遊記念碑〜
厚木市東町に相模川に架かる、あゆみ橋がある。
あゆみ橋
あゆみ橋の北に厚木村渡船場跡があった。
市指定史跡
厚木村渡船場跡
この地は、
矢倉沢往還
や藤沢道、八王子街道が相模川を渡る渡船場で、常時5艘の舟が備えられ、旅人などに利用されていました。
江戸時代に刊行された『新編相模国風土寄稿』の記述によると、冬の渇水期には土橋が設けられていました。
この渡船場の厚木側の権利は、厚木村と溝呂木家が持っていました。溝呂木家の権利は、徳川家康から与えられたものと伝えられています。
天保2年(1831年)9月、矢倉沢往還を通って厚木を訪れた
渡辺崋山
は、「厚木六勝」図を残していますが、その一つ「仮屋喚渡」
(かおくのかんと)
は、この場所を描いたものです。
明治41年(1908年)、相模橋の開通によって、この渡船場は廃止され、その役目を終えました。
厚木市教育委員会
厚木村渡船場跡に渡邊崋山來遊記念碑があった。
渡邊崋山來遊記念碑
渡邊崋山は天保2年9月22日から數日當地に滞留し、その繁盛に驚き厚木の盛んなること都にことならず、家のつくりさまは江戸にかわれども女男の風俗かわる事なしと
「遊相日記」
にしるしている。崋山39歳のときである。このおり彼は邑内の風雅を愛する人たちを集めて歡談し、需めに應じて「厚木六勝」を描いた。雨降晴雪・假屋喚渡・相河清流・菅廟驟雨・熊林曉鴉・桐堤賞月がそれである。
崋山來遊から130年、ことの忘れ去られるを慮り、大略を記してのちに傳える。
昭和36年春
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