大正9年(1920年)3月、
与謝野鉄幹・晶子
夫妻が白秋の新居を訪れる。
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大正12年(1923年)9月1日、関東大震災で山荘は被害を受ける。
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大正13年(1924年)10月10日、
若山牧水
は小田原に白秋を訪れる。
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大正14(1925年)7月19日、鉄幹・晶子夫妻が再び小田原の白秋宅を訪れる。
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大正15年(1926年)1月10日、牧水は再び小田原に白秋を訪れる。
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同年、白秋は東京へ転居した。
三好達治
昭和14年(1939年)2月、鎌倉から大窪村板橋24、通称下河原(現南町4丁目)に転居、19年に福井県に疎開するまでの5年半を小田原で過ごした。
南町4丁目の諸白小路「喫茶フォーユー」の前に「三好達治旧居趾」の碑がある。
三好達治旧居趾
平成14年、小田原ペンクラブ建立。
喫茶フォーユーは三好達治の住んだところにあります。
昭和第一と言われる詩人はこの地を好み、ここにあった和風で小さな二階建の家で数々の名作を生みました。
この道を通る人たちは、どうか足をとめてありし日の詩境を偲んで頂きたいと思います。
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