このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芦之湯温泉「美肌の湯きのくにや」

今日は芦之湯温泉 美肌の湯きのくにや」 (HP)に泊まる。


正徳5年(1715年)、「きのくにや」創業。

芦之湯温泉は江戸時代の「諸国温泉効能鏡」に前頭筆頭と記されている。

芦の温湯の石に精あり秋の風
   蕪村

わが思ひ雪の筥根をこさで泣く
   几董

傘さして箱根こすなり春の雨
   一茶

出典は『七番日記』(文化15年3月)。

この時、一茶は柏原にいた。

早めに着いてお風呂に入る。

貴賓殿の内風呂


泉質は単純硫黄泉。

湧出量は毎分400リットルだそうだ。

露天風呂


源泉名は湯の花揚湯2号泉。

 泉質はカルシウム・ナトリウム・マグネシウム−硫酸塩・炭酸水素塩泉(旧泉質名 含土類重曹−石膏泉)。pH8.0。泉温は66.4℃。

昭和40年、湯ノ花沢より引き湯。

貸切源泉風呂「正徳の湯」

「自噴硫黄源泉」
   
「湯の花揚湯泉」

   


正徳の湯〜当館創業の由来〜

 当館は江戸時代の正徳5年11月、当時の小田原城主大久保加賀守よりこの土地と温泉と温泉株の購入を許されました。以来280余年の歳月が流れ、今回の再建にあたって、湯室の名称を年号に因み「正徳の湯」と致しました。

 当湯は古来より東海道の難所として、箱根越えの厳しいさとそこに涌く湯の有り難さを「地獄で仏に会った」とたとえられ、また、山頂でありながら、その効験は「箱根七湯中で比泉を最す」と謡われ皮膚病に効く硫黄泉として名を馳せました。そのお湯は、今でも変わることなく静かに湧き出し大地の恵みを与えてくれております。

 「夏の避暑にはぬる湯がよく、冬は長湯して暖まった」と聞いておりますが、戦後の温泉ブームによる諸開発と湯脈の変化で「源泉」の湯温が下がり一時の閉湯を余儀なくされておりました。ようやく平成11年に再び原型に近い状態で立て替えを致しました。出来るだけ当時に近い状態を再現しましたので、現在の浴場設備からすると少々ご不便をおかけします。

 再開に際し機械導入をせずご入浴頂く為、源泉38度と町温泉65度を適意に調整頂きご入浴下さるようお願い致します。

湯香殿露天風呂


本館正面入り口に「瀧廉太郎 箱根八里 作曲之碑」があった。


昭和60年、十代目儀三郎建立。

 「箱根八里」は瀧廉太郎が「きのくにや」に滞在中に作られたもの。瀧廉太郎は晩年結核を患って「きのくにや」で療養生活を送っていたそうだ。

平成27年、 「松坂屋本店」 は休館。

旅館経営も大変である。

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