このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

今年の旅日記

久礼八幡宮〜飛鳥井曽衣と鹿持雅澄の歌碑〜
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中土佐町久礼に久礼八幡宮がある。

鳥居の左右に2基の歌碑がある。


左は飛鳥井曽衣の歌碑


かきま久禮うらみて帰る浜千鳥眞砂の数や涙なるらん

昭和62年(1987年)7月1日、中土佐町教育委員会建立。

碑 陰

「かきま久禮(涙にかきまぐれて)うらみて帰る濱千鳥(別れを惜しんでかえる千鳥の) 眞砂の数や(浜の砂の数のように多いのは)涙なるらん(私の涙でしょうか)」これは戦国時代に京の乱を避け中村の一条氏を頼り土佐に来国した飛鳥井曽衣(あすかいそえ)の歌です。主家一条家没落により一条内政(ただまさ)が天正2年(1574年)長岡郡大津村に遷るに及んで曽衣もこれに随いました。この歌はその途次久礼浦にかねてより親交のあった久礼城主佐竹古閑(親辰)を訪ね、京を偲びまた一条家と我が身の行く末を嘆いて詠んだと伝えられています。この歌碑は中土佐町制施行30周年を記念して建立するものです。左に立つ歌碑は昭和32年の久礼・上ノ加江両町合併のとき久礼の名を後世に伝えるための記念碑として建立されました。歌は飛鳥井曽衣の子孫鹿持雅澄(かもちまさずみ)が文化13年(1816年)にこの地で先祖を偲び詠んだものです。

右は鹿持雅澄の歌碑


古や汝も恋しき浜千鳥久礼の浦廻をちかえり鳴く

昭和32年(1957年)1月、久礼町教育委員会建立。

久礼八幡宮


 久礼八幡宮大祭は、県下三大祭りのひとつとして知られ、旧暦8月14日、15日の両日は、町内外の参拝者でにぎわいます。

 現在の社殿は文政6年(1823年)に再建されたもので、勧請年月は不明ですが、嘉吉(1441〜1444)のころ社殿建立と古い記録にありますので、そのころより鎮座していたようであります。

 宝物としては銅戈、明徳3年(1392年)の年号のある鰐口、戦国時代の久礼城主、佐竹義直の花押のある登り竜の剣などがあります。



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