このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2012年

雪蹊寺〜芭蕉の句碑〜
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高知市長浜に雪蹊寺という寺がある。


四国八十八ヶ所 第33番札所である。

雪渓寺の前に 山頭火の句碑 があった。


人生即遍路

山頭火の行李のふたの裏に書かれていたそうだ。

太子堂


太子堂の右手に芭蕉の句碑があった。


閑さや岩にしミ入る蝉の聲

出典は『奥の細道』。

 元禄2年(1689年)5月27日(新暦7月13日)、 山寺(立石寺) で詠まれた句。

明治19年(1886年)、建立。

雪蹊寺本堂


臨済宗妙心寺派 の寺である。

高福山雪蹊寺

 延暦年間(782〜806)弘法大師が開基されました。もとは高福寺といいましたが、鎌倉時代に運慶と湛慶作の毘沙門天の仏像など(国重文)が安置されたところから運慶寺と改称された経緯があります。戦国時代、月峰和尚を中興の祖とし臨済宗に改宗され、長宗我部元親の菩提寺となり、元親の法号にちなみ雪蹊寺と改称されました。慶長5年盛親の敗戦で山内一豊公の入国となり、70石を拝領しました。歴代の住職やその弟子に朱子学を学んだ天質と小倉三省、谷時中などを輩出し南学の中心地ともいわれています。

 明治2年廃仏毀釈により廃寺となりましたが、同12年山本太玄和尚を住職とし復興され、その弟子山本玄峰和尚は昭和の傑僧といわれました。本尊薬師如来三立像。

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