このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記

青井阿蘇神社〜国宝〜
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人吉市の青井阿蘇神社は国宝だというので、行ってみた。

青井阿蘇神社楼門


 平安時代の大同元年(806年)に阿蘇神社の分霊を勧請して創建されました。鎌倉時代初期に相良氏が遠江(静岡県)から当地へ入国してからは氏神として崇敬を受け、地域色を強めてきました。現在の社殿群(本殿・廊・幣殿・拝殿・楼門の5棟)は慶長15年(1610年)から同18年にかけて人吉藩主の相良家20代相良長毎(ながつね)の命により造営されたものです。

 社殿の特徴は、楼門に代表される急勾配の茅葺屋根や軒から下を黒漆塗としつつ、組物や部材の面に赤漆を併用する技法など人吉球磨地方の独自性の強い意匠を継承する一方で、彩色や錺(かざり)金具などは桃山期の華麗な装飾性を取り入れており、その後の当地方社寺造営の規範となっています。また、廊の龍にみられる秀麗な彫刻や特異な幣拝殿形式は、広く南九州地方にその影響を与えたとされています。

 平成20年6月9日、県内に現存する文化財としては初の国宝に指定されました。

青井阿蘇神社拝殿


青井阿蘇神社由緒

御祭神 建磐竜神・阿蘇都比売神・国造速瓶玉神

 当神社は第五十一代平城天皇の大同元年肥後国阿蘇郡鎮座阿蘇神社の御分霊を阿蘇の神主尾方惟基此所に勧請すと、後鳥羽天皇建久九年相良氏当郡に封ぜられ其の後慶長二年二百五十余社の宗社と定め神領二百十六石を供奠し大宮司をして統轄せしむ。祭礼最も壮厳を極め神社を中心として領内に祭政一致の範を示し子孫累代其の遺風を守り明治初年に及ぶ。爾来当地方の一の宮として郷民深く尊崇す。本殿渡殿幣殿拝殿楼門は国の重要文化財にして慶長五年藩主相良長毎之を奉納す。豪華絢爛たる桃山様式の代表的建造物で楼門の神額は天台座主二品堯如法親王の親筆である。

 明治五年郷社に列格昭和十一年県社に昇格昭和三十四年神社本庁の別表神社に加列せらる。

青井阿蘇神社の鶏


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