このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記

八代神社〜妙見宮の大楠〜
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八代市妙見町に八代神社ある。


今日は注連縄立て。

妙見宮の大楠


大楠と西南戦争

 明治10年の 西南戦争 で、この一帯(当時は宮地村)は官軍・薩軍の攻防が激しいところであった。戦禍は猫谷村・ 古麓村 に拡がった。

 この大楠(市指定記念物)は、中世の歴史と明治の戦いを眺め、その幹には多くの銃弾が撃ち込まれているという。

 境内の樹木が台風で倒れたので製材に出したところ、銃弾が入っていて鋸の歯がつぶれたという。

 江戸時代再建の妙見宮(八代神社)の社屋と共に、当時を偲ぶ数少い語り部である。

八代神社社殿


 八代神社は、明治4年(1871年)まで妙見宮と呼ばれ、文治2年(1186年)に検校散位(けんぎょうさんみ)大江朝臣高房がこの地に創建したと伝えられています。祭神は、北極星と北斗七星を神格化した天之御中主神と国常立尊です。

 南北朝時代から戦国時代の混乱期を過ぎ、加藤氏による八代城完成と同年の元和8年(1622年)に社殿が、また、寛永13年(1636年)には細川三斎公によって神輿と神輿屋、脇殿、拝殿などが再興されました。その後も元禄12年(1699年)と寛延2年(1749年)に、城主松井氏によって修復がなされ現在に至っています。

 社殿は、屋根は入母屋造り、正面に 千鳥破風があり、数多くの緻密な彫刻が随所に施され、 江戸時代中期から後期の社寺建築の特徴がよく表わされています。

 11月22・23日の秋季例大祭である妙見祭は九州を代表する都市例祭で、「八代妙見祭の神幸行事」として国の重要無形民俗文化財に指定されています。

熊本県

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