このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2015年
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文豪の宿「山王閣」
〜夏目漱石〜
阿蘇市内牧に文豪の宿
「山王閣」
(HP)があったので、立ち寄ってみた。
明治の文豪 夏目漱石先生ゆかりの宿
文豪の宿「山王閣」
文豪漱石が泊まり『二百十日』の舞台となった宿。
それがここ、「山王閣」です。
日本庭園に漱石の胸像があった。
夏目漱石先生『二百十日』起稿の宿
行けと萩ゆけとすゝきの原広し 漱石
明治32年(1899年)9月1日、
夏目漱石
は阿蘇登頂を試みたが、嵐に遭い断念した。この日が「二百十日」だった。
阿蘇の山中にて道を失ひ終日あら
ぬ方にさまよふ 二句
灰に濡れて立つや薄と萩の中
行けど萩行けど薄の原広し
〔子規へ送りたる句稿 三十四〕
明治39年(1906年)10月、小説『二百十日』は雑誌『中央公論』に発表された。
漱石記念館
維持していくのが大変だそうだ。
「なにこれでいいよ。——姉さん、ここから、阿蘇まで何里あるかい」と圭さんが玉子に関係のない方面へ出て来た。
「ここが阿蘇でござりまっす」 「ここが阿蘇なら、あした六時に起きるがものはない。もう二三日逗留して、すぐ熊本へ引き返そうじゃないか」と碌さんがすぐ云う。
「どうぞ、いつまでも御逗留なさいまっせ」
「せっかく、姉さんも、ああ云って勧めるものだから、どうだろう、いっそ、そうしたら」と碌さんが圭さんの方を向く。圭さんは相手にしない。
「ここも阿蘇だって、阿蘇郡なんだろう」とやはり下女を追窮している。
「ねえ」
「じゃ阿蘇の御宮まではどのくらいあるかい」
「御宮までは三里でござりまっす」
「山の上までは」
「御宮から二里でござりますたい」
「山の上はえらいだろうね」と碌さんが突然飛び出してくる。
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