このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2015年
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亀山城址
〜大本弾圧事件〜
嵯峨野観光鉄道
「トロッコ列車」
に乗って亀山まで来たので、亀山城址に行くことにした。
大本・天恩郷(丹波・亀山城址)
亀山城址は現在(宗)大本の境内地となっています。歴史は古く、天正3年(1575年)織田信長から丹波攻略を命じられた明智光秀がこの地に城を築いたことに始まります。丹波を平定したものの、ここから兵を進めた同10年の「本能寺の変」はあまりにも有名です。
慶長15年(1610年)、徳川家康が命じた「天下普請」で
藤堂高虎
による5層の層塔型天守が出現、亀山城は近世城郭として完成し、亀山藩ができます。その後は、京都に隣接する山陰道の要衝として栄えました。
明治維新で藩は亀山県となり、明治11年(1878年)頃、亀山城は取り壊されます。建物の一部は寺院の山門などに再利用、石垣は京都鉄道(現・トロッコ列車)の鉄道工事用石材として大量に転用されたといいます。
大正8年(1919年)、転売を経て荒廃した土地を大本が購入、石垣を積直し神苑として整備、「大道場」を開設しました。大正と昭和の大本弾圧事件で、敷地を没収され廃墟と化しますが、返還され今に至っています。
(受付申込みで城址の一部が見学できます)
亀山城の石垣
訪れる人も少なくて、よかった。
大本弾圧事件は高橋和巳の小説『邪宗門』の題材となっている。
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