このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

新年の旅日記

語り部バス〜高野会館〜
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8時45分、震災を風化させないための語り部バスは 南三陸ホテル観洋」 発。

 昭和35年(1960年)5月24日、南三陸町はチリ地震津波で被災した。

戸倉地区へ。

 南三陸警察署の発表によると、東日本大震災の死者は566人、行方不明者は211人。

 今回の死者・行方不明者は、チリ地震津波で被害を受けなかった地域で多かった。

戸倉小学校は裏山の神社に避難して無事だったそうだ。


戸倉中学校跡地


平成26年(2014年)4月、志津川中学校に併合。

震災発生時刻で止まったままの時計


戸倉中学校応急仮設住宅


防潮堤工事


沿岸の人は、あまり高い防潮堤は必要ないと言う。

海が見えなくなるからだ。

南三陸さんさん商店街


高野会館


高野会館(民間震災遺構)

327人(高齢者芸能発表会出席者、近隣住民、従業員)と犬2匹の命を救う

 当館は旧JR志津川駅に近く、町の中心地であったこともあり、南三陸町の冠婚葬祭場として皆様より長い間ご愛顧頂いておりました。

 2011年3月11日2時46分、東日本大震災が発生、マグニチュード9.0、南三陸町では震度6弱の強い揺れが約3分以上続きました。

 当館は海岸から約200mであったため、館内にいた従業員たちは、「大津波が来るはずだ」とすばやく判断し、帰ろうとする高齢者芸能発表会に出席していた大勢の人々を外に出さず、上層階へと避難させました。

 一部4階建ての建物ですが、約40分後に高さ15m以上の津波が直撃、さらに繰り返し津波が押し寄せました。

 屋上も約30cm浸水しましたが、全員が屋上と4階の部屋に避難し、当日の夜は備蓄していた限られたペットボトルの水を小さなキャップで配り、励まし合って翌朝を迎え全員が助かりました。

 当社(株)安部長商店は、津波の経験や教訓を語り継ぐ場とし、また震災の風化を防ぐために必要と考え、当館を保存してまいります。

 高野会館とともに私たちの経験・記憶を多くの皆様にお伝えすることで、将来の防災・減災への取り組みにお役立て頂ければ幸いです。

当日屋上にて撮影


志津川魚市場


南三陸ホテル観洋」が見える。

防災庁舎前で黙祷。




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