このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
牧水公園
〜牧水歌碑巡り〜
牧水橋
を渡り、牧水公園へ。
牧水公園には10基の牧水歌碑がある。
母恋しかかるゆふべにふるさとの桜咲くらむ山の姿よ
短歌の解説
明治40年2月の作で歌集「海の声」・「別離」に収められている。東京に出ていた牧水がある時、母が恋しくなり山桜の咲く故郷の山の姿と母を思っての歌で少年的なものを失わなかった牧水の姿が思われる。
いつとなく秋のすがたに移りゆく野の樹々を見よ静かなれ心
短歌の解説
歌集「死か芸術か」に収められている。恋愛問題や身体の不調、困窮にある牧水は明治43年9月漂泊の旅に出る。この時の作と思われる。現状から脱し新しい自分にとの心を「静かなれ心」に表していると思う。
ふるさとは山のおくなる山なりきうら若き母の乳にすがりき
短歌の解説
歌集「路上」に収められている。明治44年3月、母危篤の報を受けるが、困窮と恋愛問題で苦悩の極みにあった。母や故郷への痛切かつ哀切なまでの郷愁に襲われての歌で、望郷の歌、母の歌として知られている。
石こゆる水のまろみを眺めつつこころかなしも秋の渓間に
短歌の解説
「秩父の秋」と題した歌の中の1首で歌集「溪谷集」に収められている。牧水は大正6年11月に秩父の溪や山を旅しているが、この時に詠んだ歌で自然を愛し、自然と一体となった代表的な歌とされている。
うらうらと照れる光に煙りありて咲きしづもれる山ざくら花
短歌の解説
大正11年春、伊豆に滞在中の歌で歌集「山桜の歌」に収められている。幼いころから山桜が好きで故郷坪谷で眺めた美しさが生き続けている。山桜を眺めていた少年繁が蘇っているようである。後期の代表作。
春あさき田じりに出でて野芹つむ母のこころに休ひのあれ
短歌の解説
歌集「砂丘」に収められている。大正元年7月、母危篤の報で帰郷、翌年5月まで滞在の間の作歌で、郷里に留まって老母の世話をしてやれない牧水の母への思いからの歌であろう。
歯を痛み泣けば背負ひてわが母は峡の小川に魚を釣りにき
短歌の解説
明治41年、幼時を回想しての歌で歌集「路上」に収められている。牧水は幼時から虫歯が痛み泣いた。子供の歯痛を直すために水神様詣りや魚つりに行くなど、自分を守ってくれる母の愛情を詠んだ歌である。
しみじみとけふ降る雨は如月の春のはじめの雨にあらずや
短歌の解説
「二月の雨」と題した歌で歌集「くろ土」に収められている。
牧水は、よく雨の歌を詠んだ。雨といえば水、雅号の牧水、溪谷や海等、水との縁は深く歌や紀行文に不朽の名作を残している。
澄みとほる冬の日ざしの光あまねくわれのこころも光れとぞ射す
短歌の解説
大正7年秋、利根川上流地方へ旅した時の歌で歌集「くろ土」に収められている。三上知治□□の「利根川の奥へ」□□□□スケッチに心を動かされ、自然を求めて旅をした牧水の姿が思われる。
わがゆくは山の窪なるひとつ路冬日氷りて光りたる路
短歌の解説
大正7年11月、利根川上流をたずねる旅に出た。この時の作で、歌集「くろ土」に収められている。画家三上知治のスケッチ紀行文「利根川の奥へ」に魅せられての旅で、自然を求めてやまぬ牧水の姿が思われる。
平成7年(1995年)4月1日、建立。旅人書。
『若山牧水歌碑インデックス』(榎本尚美、榎本篁子著)によれば、全国で185〜194番目の牧水碑である。
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