このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記

高千穂峡〜真名井の滝〜
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高千穂峡を訪ねてみた。


 高千穂峡は古阿蘇火山活動のとき溢出した溶岩流が五ヶ瀬川に沿って帯状に流れ出し、急激に冷却したため柱状節理の素晴らしい懸崖となった峡谷です。

 ここには七ツ池と呼ばれる甌穴や真名井の滝が懸っております。

環境省 宮崎県

玉垂れの滝


近寄って見ることはできない。

月形 ・ 日形

 「玉垂れの滝」の上にある半月の岩形を月形といいます。弟・素盞嗚尊のご乱暴に嘆き悲しんだ天照大神は、天岩屋戸にお隠れになりますが、八百万の神々の謀り事により、再びこの世にお戻りになります。素盞嗚尊は神々の裁きを受け、所払いとお詫びの証を造ることになりました。

 尊は、天照大神を日の光る太陽として日形を彫り、自分の光は月の光の半分もないからと、三日月の穴を彫り、その後高天原を去り、出雲に行かれたと伝えられております。江戸末期の記録には、月形・日形の絵図も残されていますが、今は日形は崩壊し月形のみが残っています。

「月形」は、よくわからなかった。

真名井の滝


日本の滝百選 の一つである。

若山牧水歌碑


幾山河越えさりゆかば寂しさのはてなむ国ぞけふも旅ゆく

 牧水 は明治18年宮崎県 東郷町 に生まれ 延岡中学 を経て早稲田大学に入学した。この歌は牧水が22歳上京以来3度目の帰省の途中、帰路中国地方を回って帰郷した時の歌で処女歌集「海の声」に掲載されている。北原白秋とは早稲田大学時代級友として親交がある。昭和38年4月建立。

86番目の牧水碑である。

 延岡で海に入る五ヶ瀬川の上流遙かに天孫降臨の地とも言われる高千穂峡があり、その峡中の御塩井に牧水の歌碑がある。これは牧水門下で郷土史家の松田仙峡だそこにある北原白秋の歌碑と並べて建てるよう町長に話して僅かの経費の協力を得て建てたもので、

   幾山河越えさりゆかば寂しさのはてなむ国ぞけふも旅ゆく

と五行に書かれた歌は牧水の筆蹟だが、縦一メートル二四センチ、横五八センチ、の小さなもの、白秋の堂々たる歌碑のすぐそばだけに一層貧弱に見える。

『牧水歌碑めぐり』(大悟法利雄著)

北原白秋歌碑


天なるやくしふる峰
高千穂の御田居の郷
真名井湧く老木がもと
照る玉のま澄むは見つつ
しづく石かきろう見つつ
心處に高くはゐしか
神さぶと清くは坐しつれ
今にして我はや死にせむ
この道半ば

反歌

   ひく水に麻のをひてて月まつは
   清き河原の天地根元作りの家

  白秋 は昭和16年3月29日、弟子の木俣修と来町当時眼疾のためすでに薄明状態だった。歌は修の処女歌集「高志」の序歌として贈ったもの。

 高千穂の神代川天の真名井での短歌、長歌を詠んだもので晩年の白秋の心情がよく表われている。

 翌年11月、57才で他界。

昭和24年11月7日建立。

観光客が多いのには驚いた。

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