このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

斎藤茂吉の歌碑

浅草の三筋町なるおもひでも

     うたかたの如や過ぎゆく光の如や


 都営地下鉄大江戸線蔵前駅から春日通りを行き、三筋2丁目の交差点を過ぎて路地に入る。


台東区の旧町名由来案内があった。


下町まちしるべ

旧浅草三筋町1・2丁目

 本町には、アララギ派の歌人で歌学者、医者として有名な文化勲章受章者の 斎藤茂吉 が住んでいた。その茂吉が長崎医専の教授をしていた時に、三筋町を懐かしんで詠んだ歌で「浅草の三筋町なるおもひでもうたかたの如や過ぎゆく光(かげ)の如や」の文学記念碑が三筋2丁目にある。

明治29年(1896年)
8月
 上京し、浅草区東三筋町斎藤紀一方に寄寓(14歳)
大正3年(1914年)
4月
 斎藤紀一の次女輝子と結婚(32歳)
大正6年(1917年)12月 長崎医学専門学校教授に任ぜられ、長崎に赴任(35歳)
昭和26年(1951年)11月 文化勲章受章(69歳)

茂吉の歌碑は台東区立三筋保育園の前にある。


浅草の三筋町なるおもひでもうたかたの如や過ぎゆく光(かげ)の如や

出典は『つゆじも』。大正9年(1920年)11月の歌である。

昭和50年(1975年)12月、建立。

46番目の茂吉歌碑である。



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