このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2009年
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鼻顔稲荷神社
〜種田山頭火〜
佐久市岩村田花園町に鼻顔稲荷神社がある。
湯川の断崖に張り出した鼻顔稲荷神社
石段の紅葉
鼻顔稲荷神社社殿
永禄年間(1558〜1569)、京都の伏見稲荷から勧請して創建。
京都の
伏見
、愛知の豊川、佐賀の
祐徳
、茨城の
笠間
と共に五大稲荷に数えられているそうだ。
鼻顔稲荷神社から大神宮神社に行く。
坂道の途中に
荻原井泉水
の句碑があった。
空をあゆむろうろうと月ひとり
大正9年(1920年)、井泉水が横浜在住当時の句だそうだ。
井泉水39歳の時である。
昭和29年(1951年)9月、井泉水の弟子関口江畔の遺志により、江畔の子父草が建立。
大正14年(1925年)4月18日、
若山牧水
は岩村田に着き、
「佐久ホテル」
に投宿。翌19日、鼻顔稲荷神社に詣でた。
食後附近の名所鼻顔觀音に詣でた。なにがし川の岸、崖の中腹にきらびやかな御堂が設けられてあつた。我等はその崖の上の落葉松の林に入り、枯葉枯草を敷いて休んだ。丁度淺間を前に蓼科八ケ岳を背後に望むといふ位置にあつた。諸山悉く雪を纏ひ、あたりの落葉松も一向まだ芽ぶかう様子も見せてゐなかつた。
「信濃の春」
昭和11年(1936年)5月10日、
種田山頭火
は鼻顔稲荷神社を訪れ、記念撮影をしている。
鼻頭
(ママ)
稲荷の境内で記念撮影。
江畔老から牧水の事をいろいろ聞く。
うれしくあたゝかくやすらけく寝たり起きたり、我がまゝをさせていたゞく。
『旅日記』
井泉水句碑の傍らに山頭火と江畔・父草の句碑があった。
浅間をむかうに深い水を汲みあげる
山頭火
兄も弟も日にやけて学校へゆく日となった朝飯
江 畔
あしもと照らしつゝゆくじぶんのあしもと
父 草
平成17年(2005年)5月10日、山頭火句碑建立会建立。
大神宮神社は注連縄奉納の最中であった。
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