このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2013年
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伊那橋
〜井上井月と種田山頭火〜
伊那の小沢川は市内を流れ天竜川に注ぐ。
小沢川の伊那橋親柱に山頭火の句が刻まれていた。
あの水この水天竜となる水音 山頭火
種田山頭火
(1882〜1940)は、『層雲』派の自由律俳人、山口県生まれ。
井月の生き方に共鳴し、昭和14年(1939年)5月3日、伊那に来て俳友前田若水の案内で井月の墓参を果たし、当地に2泊、風趣に富む俳句と日記を残した。
五月四日 晴、若水居。
春、山国の春、高原の春、山の色、空の色、土の色、何も彼も春だ。
若水居のしたしさ、若水君その人のあらはれだ。
『旅日記』 昭和十四年
反対側の親柱に井月の句が刻まれている。
柳から出て行舟の早さかな 井月
井上井月
(1822〜1887)は、俳人、新潟県生まれ。
東北や関西に芭蕉の足跡をたどった後、伊那に来て30年、家も妻子もなく、俳諧一筋に、仲間の家々を訪ねては1泊2泊、流麗な筆跡の高吟を残し、酒を愛し無欲漂泊な生涯をこの地に終わる。
版画 森 獏郎
井上井月と種田山頭火との出会い
山頭火はついにやってきた。昭和14年5月3日であった。
昭和9年から数えて丸6年ぶりの井月墓参の実現であった。
前回は木曽から
峠越し
の伊那谷入りで、藤村の『夜明け前』の舞台、馬籠をも訪ねることが出来なかった。飯田での急性肺炎に懲りてか、豊橋から飯田線利用での伊那入りであった。
山頭火は井月の生き方に心酔しており、「いつも考えるのは、井月のことである。彼の酒好きや最期のことである」と日記に残している。
この度は、各地の旧友知己の温情にすがっての旅であり、今回は目的をはっきり井月墓参に絞っていたのであった。墓参が終った夜、伊那の予地から
木曽
へと帰っている。
さて、井月と山頭火が実際に出会ったことは無いが、もし出会っていたら、二人とも無類の酒好きであったので、「千両、千両」と酒を酌み交わしたであろう。
明日知らぬ身の楽しみや花に酒
井月
寝ころべば信濃の空の深いかな
山頭火
井上井月顕彰会
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