このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2012年

諏訪大社下社春宮〜国重要文化財〜
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下諏訪町の 旧中山道 を歩いて、諏訪大社下社春宮へ。


諏訪大社下社春宮


諏訪大社下社春宮

幣拝殿・左右片拝殿

諏訪大社は建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)と八坂刀売命(やさかとめのみこと)を祀り、上社は建御名方富命(彦神)を、下社は八坂刀売命(女神)を主祭神としている。

下社の祭神は、2月から7月まで春宮に鎮座し、8月1日の御舟祭で秋宮に遷座し、翌2月1日に春宮に帰座される。

下社の中心となる建築は、正面中央にあり拝殿と門を兼ねたような形式の幣拝殿、その左右にある回廊形式の片拝殿、それらの背後にある、東西宝殿からなる。東西の宝殿は茅葺・切妻造・平入の簡素で古風な形式をもち、申寅の7年ごとに新築する式年造替制度がとられている。

右のような社殿形式は諏訪大社に特有のものであり、また、その幣拝殿と左右片拝殿に似た形式は、長野県内の諏訪神を祀るいくつかの神社でも用いられている。

現在の春宮の幣拝殿は安永8年(1779年)に完成したと考えられる。大工棟梁は高島藩に仕えた大工棟梁伊藤儀左衛門の弟である柴宮(当時は村田姓)長左衛門矩重(1747〜1800)であった。幣拝殿は間口の柱間が1間、奥行が2間で、背後の壁面に扉口を設ける。2階は四方がふきはなちで、屋根は切妻造・平入の銅板葺(元は檜皮葺)で、正面は軒唐破風をつける5間で、屋根は片流れの銅板葺である。

幣拝殿の建築様式の特徴は各所につけられた建築彫刻の数の多さとその躍動感にあふれた表現である。正面の腰羽目の波、虹梁の上の牡丹・唐獅子、唐破風内部の飛竜、1階内部の小壁の牡丹・唐獅子、扉脇の竹・鶏で名作が多く、建築彫刻の名手である柴宮長左衛門の腕前がよくうかがえる。

諏  訪  大  社
下諏訪町教育委員会

幣拝殿・左右片拝殿


   


幣拝殿

国重要文化財

この建物は御幣を奉ずる幣殿と拝殿が一体となったもので幣拝殿と呼ばれている。建築様式は二重楼門造りで全体に見事な彫刻が施されている。棟梁は地元の宮大工柴宮(伊藤)長左衛門で秋宮と同じ絵図面で秋宮幣拝殿より1年早い安永9年(1780年)に落成した。

春秋両宮は社殿構造は同じで当時は双方で技術が競われた。

左右片拝殿

国重要文化財

片拝殿と呼ばれるこの建物は幣拝殿と同じく安永9年(1780年)地元の大工柴宮(伊藤)長左衛門により造営されたものである。

秋宮に比べて幅が短く屋根は片切りになっている。

 諏訪大社の御柱祭は7年目毎寅・申年に行われ、3日にわたって 木落し坂 で下社春宮・秋宮の柱8本の木落しが行われる。

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