このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2011年
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諏訪大社
〜上社本宮〜
諏訪市中洲に諏訪大社上社本宮がある。
諏訪大社は
『延喜式神名帳』
に「南方刀美神社
(みなかたとみのかみのやしろ)
」と記され、「信濃国四十八座」の第一にある。
信濃國
一之宮
である。
御分社は一万有余社を数えるそうだ。
本宮一の御柱
御神域の四隅に建立されている。
参拝所
寛政3年(1791年)4月26日、鶴田卓池は諏訪大社を訪れている。
○二十六日 未の刻ヨリ雨フリ 杖突坂 四り上諏訪大明神
祭神ハ建御名力命ト申ス タケミナチカラノミコト也
社領千石 七不思議ト云コトアリ 弓島へ二り
諏訪湖の海の氷のはしの通路ハ神のわたりてとくるなりけり
今朝しもや諏訪の氷のひま分て尾をふる駒の道なつむらん
『奥羽行』
拝殿
重要文化財である。
本殿はなく、宮山が上社の神体山。
上社の祭神は建御名方神
(たけみなかたのかみ)
で、男神。
大国主神と高志河比売神の御子神である。
明治42年(1909年)4月30日、河東碧梧桐は諏訪上社に詣でた。
四月三十日。曇、時々小雨、風寒し。
午後同行者数名と諏訪上社に詣でた。御柱立の神事はかねて聞き及んでおったので、多少境内の風致、神殿の建築なども予想しておったのであるが、神聖荘厳の気は思う半ばにも達せぬのを意外ととした。聞けば、近頃境内を拡めて、多少土工を起し、建物を他に移したりしたためであるという。社務所の火燵に大勢眼白押しをしながら、二三の宝物を拝観した。
『続三千里』
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