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私の旅日記
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2011年
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高島公園
〜高島城址〜
諏訪市高島に高島公園がある。
高島城址である。
高島城は天正18年(1590年)、豊臣秀吉の家臣日根野織部正高吉によって設計され、文禄元年(1592年)着工、慶長3年(1598年)完成した。
この高島城は、諏訪湖と数条の河川が周囲をめぐり濠の役をつとめ、諏訪湖の波が城の石垣に迫り、「諏訪の浮城」と呼ばれ、慶長6年(1601年)初代藩主諏訪頼水から十代藩主諏訪忠礼に至る270年間、諏訪氏の居城としてその威容を誇ってきた。
明治4年(1871年)廃藩置県となり、明治8年(1875年)廃藩置県によって天守は撤去され、翌明治9年(1876年)5月高島城址は「高島公園」として、一般に開放された。
朝夕の「時の太鼓」が鳴らなくなって100年、諏訪の住民の「高島城」に寄せる愛着は強く、昭和45年(1970年)春、ここに「高島城」は復興された。
諏訪市
2007年のNHK大河ドラマ『風林火山』(井上靖原作)では由布姫の居城とされた。
当時の「高島城」は上諏訪茶臼山にあった山城だったそうだ。
明治42年(1909年)5月2日、河東碧梧桐は高島城跡を訪れている。
五月二日。晴。
天正年間のこととか、日根野某なる城主が湖中に城を築いた。当時民の疾苦をも厭わなかったというので、所領替えになったという。その城跡が現に、この町外れの田圃の中に残っておる。湖中に城を築くというような考案を立てた人は、よほど美術思想の発達した人であろうと思う。
『続三千里』
高島公園の奥に芭蕉の句碑があった。
花に遊ぶ虻那くらひそ友雀
出典は『続の原』(不卜撰)。
貞亨4年(1687年)、芭蕉44歳の句。
『笈日記』
(雲水部)に「
花を吸ふ虻なくらひそ友すゞめ
」とある。
高島公園の諏訪護国神社に永田鉄山中将像があった。
長野県諏訪郡上諏訪町本町出身。
「
永田の前に永田なく、永田の後に永田なし
」と言われたそうだ。
昭和10年(1935年)8月12日、相沢三郎中佐に軍務局長室で斬殺された。
相沢事件である。
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